旅とか雑記とかを冗長に

ラベル 第二章 狂宴アジア編 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第二章 狂宴アジア編 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【まとめ】


今回のアジアハイウェイ1号線の旅は、インドのデリーからパキスタンのイスラマバードまでを陸路移動しました。

そして途中、脱線してゴアで音と紫煙と乃木坂とマンガに包まれる日々を過ごしました。

食、景色、出会い、文化交流と、様々な体験ができました。

体調不良のまま出発となり、楽しい事が素直に楽しめない、楽しいって理屈ではわかっているのに心に薄い膜が張っていて鈍麻しているような、正直そんな感覚を持ちながらの旅でもありました。

体調が良かったらもっと楽しかったのかな?

でも十分いい経験を得れたと思っています。

うん、これだけは胸を張って言える。

インド

やっぱり唯一無二の個性派国家でした。

よく「インドは好きか嫌いかハッキリと別れる」と言われますが、僕の場合は「好きでもあるし、嫌いでもある」です。

この感想は、学生時代に初めてインドに行った時の感想と変わっていません。

嫌なところも沢山あるけれど、良いところも沢山あります。

上手く書けるか自信が無いですが…

人を好きになる理由って、一緒にいて心地いいとか、趣味が合うとか、知識や経験が尊敬できるとか、色々あると思います。

けれど人間は完璧じゃない。ネガティブな要素だって持っているわけで。

そういうネガティブ要素とポジティブ要素を足し算してプラスになったら「好きな人」、マイナスになったら「嫌いな人」、なんて答えが導き出されるのかな?って思います。

実際自分がどういう思考プロセスで好き嫌いを判断しているのか、我ながら解っていませんが。

でもインドやインド人って、なぜかそんな単純に答えが出せません。

僕にとってのインドは「良いところも悪いところもある国」なんです。

「この人は親切にしてくれたから、インド人は良い人」とか「この人は詐欺師だから、インド人は悪い人」とか単純に言えなくて、「このインド人は良いところも悪いところもある人」って思ってしまう。

それにたまたま悪いインド人に出会ったからって、インドを悪く思うのは間違っている。

タイなら「好き」って言えるんだけどな。

インドは嫌な事も沢山あるけど、なんか嫌いになりきれない。

「またインドに行きたい?」と聞かれたら胸を張ってこう言います。

「もちろん、また行きたい!」

ゴア

僕がゴアトランスに傾倒したのは1997年ぐらいだと記憶しています。

初めてインドに行ったのが1996年なので、あと1年早くゴアトランスと出会っていたら、この時にゴアに行ってたのかな。

その初めてのインド旅行の際、バンコクの空港でインド行きの便を待っている時に、ゴア帰りの日本人と知り合いました。

この時の彼の会話を聞いて「うわっ!こいつヤベェー」って思ったのを今でも憶えています。何がヤベェーのかはあえて書きませんが。

そんな僕も、23年の時を経てゴアの地を踏みました。

今回訪れたのは11月。ゴアのシーズンと言われているのが12月から3月らしいので、少しだけシーズンを外していました。

だからなのかな?

「僕の描いていたゴアのイメージとは少し違っていた」と言うのが正直な感想です。

クラブで踊っている人は、95%以上が裕福層と思われるインド人の若者でした。

そして田舎だからか、結構閑散とした街でした。

日々ゴロゴロと引きこもっていて、ひどい時は1日1食だけ。

唯一の食事とクラブ活動の時に、重い腰を上げて街をバイクで徘徊する生活。

今思えば、サンセットを見に行ったり、フリーマーケットを見に行ったりすれば良かったかな。

あ、バガビーチも行っていないや。

もっとバイクで色々行っても良かったかも。

次回行ってみよう。

と言って、次回行ったとしても腰が重くなるんだろうな。

アムリトサル

パキスタンとの国境にあってシク教の聖地。

どういう経緯でそんなことを知ったのかは定かじゃないけど、この響きからアムリトサルの存在を知り、いつか行ってみたいと思ってから10年以上経過していると思います。

何かのきっかけでパキスタンに越境する機会があったら、是非立ち寄りたいと思っていました。

今回はそんなチャンスが巡ってきました。

アムリトサルの思い出は、なんと言っても黄金寺院。

あまりに素敵な場所で、2夜連続で訪れてしまいました。

今思えば、太陽の日差しに輝く寺院も見ておけば良かったかも。

荘厳な建物は必見でした。そしてシク教徒が真剣に神に祈る姿も、僕の目には眩しいくらいに美しく映りました。

街は細い路地が入り組んでいて、適当に歩いていると方向感覚を失います。そんな瞬間がとても心地良く、元来た道に戻るなんてもったいなく感じて、道がわからないままさらに進んでしまいました。

そしてそこに生活する人や、野良犬や、馬に紛れ込むのが楽しかった。

パキスタン国境で行われるフラッグセレモニーも必見。

あれが毎夕開催されているのは驚きです。

とにかくものすごい数の人が集まって、ものすごい音量の音楽が鳴って、ものすごい熱量のエネルギーがあります。

インドとパキスタンにはいくつかの政治的問題がありますが、相手国に対する敬意も感じられるセレモニーでした。

そしてBSF(Border Security Force)、カッコイイぜ!

パキスタン

初めての国でした。

そしてまったくの不勉強でした。

ガイドブックもsimカードも買わなかったので、例えば食事をする時にどんな料理があるのかまったく知らずに飯屋に入っていました。

恥ずかしながら、使われる言語がウルドゥー語って事も、文字がアラビア文字って事も、パキスタンに入るまで知りませんでした。

よくそんな状態で行ったなと我ながら感心します。

パキスタンとインドは元々一つの国です。似ていると感じた部分もありましたが、宗教が違うと文字や服装まで違うのかと、自分的には小さな発見がありました。

多くの日本人はパキスタン含め中東やイスラム教に対して、「テロ」とか「戦争」とか、ネガティブなイメージを持っていると思います。

ネガティブなイメージでなくても「よくわからない国」じゃないでしょうか。

そんなイメージが一転しました。

まず人が皆親切。

そして素朴な優しさがあると言うか、居心地の良さを感じました。

時には法律にまで宗教の戒律が影響する国ですが、異教徒の僕を皆が寛容に受け入れてくれました。

じゃぁ僕が持っていたイメージの原因は何だろう。

1人でも多くの人が、見聞きする情報に惑わされる事なく、本当のパキスタンを「体感」してポジティブなイメージを持って欲しいと願います。

次回はゆっくりと周ってみたい。

今回行ったラホールでは、神秘主義者達が集うスーフィーナイトという儀式があるようなので見てみたい。また北部の山岳地帯にも行ってみたい。

ラホール

うーん。宿に泊まって、近くのマーケットで飯食っただけなので、あまり印象がありません。

前述の通り、スーフィーナイトという宴があるらしいので行ってみたかったかな。

毎週木曜夜開催で、僕が泊まったのも木曜。

行けば良かったかな?

イスラマバード

予約していた宿にまさかの「外国人お断り」って言われてヘコみました。

結局泊まることになった宿は町外れ。

ゴミゴミした下町を目的無く徘徊したかったのですが、宿の周りにそんな場所はありませんでした。残念。

2夜連続でコルマなる食べ物が出てきたのはウケました。

ガイドブックも下調べも一切無し状態の僕は「この国にはコルマしかないのか?」って一人ツッコミ。

でもとても美味しかった。

唯一の観光はファイサルモスク。

近代的で素敵なモスクではありますが、それよりヒーロー現象が楽しかった。

ヒーロー現象:外国人であることを珍しがられて、一緒に写真を撮ったり、電話番号を聞かれる現象。僕が勝手に命名

パキスタンの人が優しく温かいことを知る良い機会でした。

強いて言えば、宿泊を断られて徘徊できなかったラワルピンディで迷子になりたかった。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【19日目】ニイハオ北京、ただいま日本


飛行機で座った状態なので、あまり寝れず何度も目が醒めてしまう。

起きた時には寝る前よりも疲労状態。

時刻は北京時間の早朝4時過ぎ。

この飛行機はパキスタンのイスラマバードから北京を経由して成田に行く。

経由便って言うのかな?乗り継ぎ便とは違う。

飛行機の経験は沢山あるわけなじゃないし、ましてや経由便は人生で2回目。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【18日目】イスラマバードの空港は難易度高、さらばパキスタン


ーーーこの日のミッションーーー

  • 飛行機で成田へ行く
  • アメリカドルへ両替する

ーーーーーーーーーーーーーーー

この日は最終日。

夜に離陸予定の飛行機に乗る以外イベントは皆無。

本当はゴミゴミした街をブラブラしたり、生活感溢れるパキスタンを感じたりもしたかったな。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【17日目】イスラマバードにてヒーロー現象再来


ーーーこの日のミッションーーー

  • ファイサルモスクを見る

ーーーーーーーーーーーーーーー

朝起きてこの日に何をするか考える。

出発前からイスラマバードでやりたい事は特に無かった。

昼までベッドでダラダラして、結局ファイサルモスクに行ってみる事に決定。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【16日目】長距離バスでラホールからイスラマバードへ


ーーーこの日のミッションーーー

  • ラホールからイスラマバードへ行く

ーーーーーーーーーーーーーーー

9半頃にチェックアウト。

この日は今回のゴール、イスラマバードへ行く日。

宿の受付でDAEWOOのバスターミナルに行きたいと相談。

DAEWOOはパキスタンのバス会社。

公共のバスターミナルとかあるのかもしれないけれど、事前調べではDAEWOOしかわからなかったので、安全を取ってこのバスに乗ることにする。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【15日目②】ラホールの路地風景、文字が読めません


そうこうしているうちに車は宿に到着。

閑静な住宅街にある宿。


宿の場所はココ。Al Burhan Express Hotel。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【15日目①】インドからパキスタンへ陸路国境越え(アタリ、ワーガ)


ーーーこの日のミッションーーー

  • アムリトサルからアタリ(インド側の国境の街)へ行く
  • インドを出国してパキスタンに入国する
  • パキスタンルピーへ両替する
  • ワーガ(パキスタン側の国境の街)からラホールへ行く

ーーーーーーーーーーーーーーー

10時ぐらいにチェックアウト。

この日は入り口のソファーに宿の人が座っている。(やっぱりターバン)

国境まで行きたい事を相談したら、車を呼んでくれることになる。

車を待っている間、ターバンお兄さんと話。

お兄さんから、是非宿のレビューをしてくれと頼まれる。

事前に予約していたのに部屋が無いからって別の宿に行かされたり、ホットシャワーが出なかったり、入り口のソファーは常に無人だし、レビューに書いていいのかな。

でも部屋は清潔で、何か相談したらすぐに対応してくれたり、黄金寺院から近いロケーションだったり、良い印象も多い。

先に書いたマイナス要素はインドでは気にする類いのものじゃないか。

しばらく待っているとドライバーがやって来る。

ターバンお兄さんにお別れを言い、車に乗り込む。

あまり話が弾まないまま40分ぐらいで国境に到着。

車はここまで。

この先にある建物が出入国の場所らしい。


ーーーお役立ち情報ーーー

  • アムリトサルから国境までは車で約40分。1500ルピー

ーーーーーーーーーーーー

出国は問題無く通過。

バスに乗るように言われる。

バスに乗ったまま15分。誰も来ない。

軍人(BSF?)が来て、あっちのバスに乗れと言われる。

待ち損。


バスの乗客は僕を含めて3人。

変な時間ではないのに人は少ない。

前日のフラッグセレモニー会場。

ここでバスを下ろされる。


この景色、チョーいい!

会場のど真ん中を歩いて先に見える門へ


門が近づいて来る。


ここでインド側の門番に出国スタンプが押されたパスポートを見せ、いくつかの質問に答える。

そしてインド側の重々しい門が開かれる。

続いてパキスタン側の重々しい門も開かれる。

やっぱりパキスタン側の門番からもいくつかの質問があり、パスポートのビザを確認すると「Welcome to Pakistan」と言われて通過を許可。

いやー、感動。

この広いスタジアム風の敷地に、国境を越える人は僕1人だけ。

見た目が「いかにも国境」と言う雰囲気。

僕のためだけに重厚な門が開かれたり、「Welcome to Pakistan」だなんて。

是非是非、機会があればこの国境の感動を他の人にも味わって欲しい。

パキスタン側は、インド側と比較しすると小さなスタジアム。(それでも十分立派だが)

国力の差なのかな。

パキスタン側


インド側


パキスタン側の入国をするため、スタジアムを抜けてそれらしい建物に入る。

荷物チェックはかなり厳重。

入国手続きをしている人は僕を含めて5人ぐらい。

これだけ大きい国境なのに、随分と少ない。

インドとパキスタンは物流も人の移動もほぼ無いみたい。

そして無事に入国。初パキスタン。

左が入国スタンプ、右がパキスタンビザ。

シンプルでカッコいい。


建物を出て、この日の宿泊地であるラホールへ行く手段を探そうとするけれど、辺りには誰もいない。

仕方ないので少し歩くと人が数人いるのを発見。

僕「あのー、ラホールまで行きたいんですが」

パキスタン人「俺の車で行きなよ」

他に人はいないし選択肢は無い。

僕「パキスタンルピーを持ってないから両替してもらえます?」

インド側でもパキスタン側でも両替所は見なかった。

誰かに両替してもらわないと先へは進めない。

結局両替もOKで、手持ちのインドルピー全部と米ドルを少しパキスタンルピーに両替。

そして助手席に乗り込んでラホールまで1時間弱。

運転手は予約していた宿を知らないらしい。

「カーナビにセットしてくれ」と言われたので、僕が目的地を設定。

カーナビがある事にも驚いたけれど、今のカーナビって地図がgoogleマップなのね。そっちの方が驚き。

道中は色々パキスタンの事を教えてもらう。

今から行くラホールは、真夏に気温が50度を超えるとか。

50度超えって死んじゃうじゃん。

息しても、入って来る空気は熱風じゃん。

そしてインドに対する感情についても聞いてみる。

僕「やっぱ、インドに対しては悪い感情とかあるんですか?」

運転手「政治的には対立しているけれど、個人的に悪い感情は持っていないよ。他のパキスタン人も僕と同じじゃないかな?」

運転手「そもそもパキスタンとインドは元々一つの国だから、言葉も文化的も似ているよ」

僕「そうなんすか。僕の国には国境が無いから不思議な感覚です」

運転手「韓国と北朝鮮みたいなもんだよ」

僕「なるほど。わかりやすい」

「韓国と北朝鮮」の例えがすごくわかりやすい。

インドとパキスタンは文字はまったく違って見えるけれど、言語(ヒンディー語とウルドゥー語)は相互理解が可能って聞いたことがある。

そう言えば、デリーでお世話になったラジュはウルドゥー語も話せるって言っていた。

運転手曰く、料理もインドと大して変わらないらしい。

すごく勉強になったし、有意義な会話。

ーーーお役立ち情報ーーー

  • 国境からラホールまでは車を見つける。他の手段があるかは未確認
  • 国境に正式な両替所は無い。パキスタンルピーはアムリトサルであらかじめ入手しておくか、国境で人を見つけて相談
  • 国境からラホールまでは車で1時間弱。3500ルピー(相場かは不明。僕の場合は他に選択肢が無かった)

ーーーーーーーーーーーー

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【14日目③】アムリトサルで危うく食い逃げ、夜の黄金寺院再び


(この文章の一部はフィクションです)

アムリトサルの宿に戻った時には、すでに辺りは真っ暗。

宿で少し休んでから、街をふらつきながら何か食べようと外に出る。

タバコを吸っていたら、シク教徒のおじさんに怒られる。

この時初めて黄金寺院の周囲が禁煙なことを知る。

知らなかったとは言え、シク教徒にとって大切な場所でごめんなさい。

どうりで、この街にはタバコ屋が少ないわけだ。昨晩は探すのに苦労した。

そして見つけたのは謎肉焼きの屋台。


炭火で串焼き、美味そう。


注文すると、ドレッシング的なものがかかって出て来る。


美味いかと聞かれたらビミョー。

結局最後まで何の肉かわからなかった。

豆腐のような、鶏肉のような。

食べ終わってしばらく歩いてから、ある事を思い出してビビった。

さっきの屋台にお金を払っていない。

青ざめた。

急いで戻ってお金を払う。

僕「ごめんなさい。お金を払っていませんでした」

屋台の人「ははは。君がどこ行ったのか考えていたよ」

隣のバングラデシュで教わったんだけれど(たぶんインドも共通)、この地域では飲食が終わって立ち去る時に料金を支払うとのこと。

商品の受け渡し時では無い。

商店でジュースを買ってその場で飲む時も飲み終わってから払うし、屋台で食べた時もチャイを飲んだ時も帰り際に支払う。

いつか食い逃げしちゃうんじゃないかと思っていたら、やっちまった。(戻って払ったけど)

でもよく考えたら、日本ではお祭りの屋台の場合は商品と支払いは同時だし、レストランだと後払い、食券制の店は先払い。

普通にできてるけれど日本の方が複雑かも。

さらに歩くと、看板に「パンジャビラッシー」と書かれた店を発見。

「パンジャビ」はこの街のある地域のこと。

普通のラッシーと何が違うのか興味が湧く。

僕「パンジャビラッシーください」

店員「ごめん、無いんだわ」

僕「看板にあるじゃん」

店員「隣の店にならあるよ」

隣の店へ移動。

僕「パンジャビラッシーください」

店員「はいよー」

出て来たのは普通のラッシーと何一つ変わらない飲み物。


一体何が違ったんだろう。

ラッシーは美味かったからいいんだけれど。

黄金寺院周囲の一番栄えている場所はきらびやか。


あまり興味のあるお土産は無かったけれど、イスラムのクルッと曲がったナイフを売っていたのは印象的。(ジャンビーヤナイフ?)

欲しいけど使いどころが無いな。

で、また黄金寺院へ。

2日連続でも見飽きない。

この日は前日よりも入念に見ることにする。

天守閣的な建物へ、異教徒の僕が入れるかドキドキしながら潜入を決行。


行列に並んでも怒られる気配は無い。

(シク教は排他的ではないし、豊める人も貧しい人も平等に接する教えがあるらしいので、異教徒の僕を受け入れてくれるんだと勝手に思ってる)

建物の中に入る際、皆が敷居の所で膝をついて土下座するようにオデコを敷居に付けている。

当然僕もそれにならう。

建物内もキンキラキン。すんげぇ綺麗。

その中で民族楽器的な何かで演奏をしている。

そしてグル的な人が何かを唱えている。

並んでいる人は順番にオデコを床に付けて祈っている。

建物を出ても通路の端で座って目を瞑っている人が沢山。

すごく神聖な感じ。

心底来て良かったと思う。

池の中央にある天守閣的な建物へ続く通路を戻ったら、謎のお菓子を配っている。

せっかくなので食べてみる。


美味い。

ほのかな甘みとナッツの香り。

シク教って皆平等に食べ物を食べる習慣があるから、皆に配っているのかな。

この寺院内にも無料で(と書くのもなんか違うかもだけれど)食事をいただける場所があるらしい。

そう言えば、バンコクにも無料で食事できるシク教の寺院がある。

黄金寺院を後にして、宿の近くをブラブラ。

途中、商店でお土産にマギー(インスタントラーメン)を大量購入。

その後お菓子屋さんがあったので、謎の白いお菓子を購入。

部屋に戻って、買ったお菓子を食べると絶品。

1個だけじゃなく、沢山買えば良かった。


この日はとても疲れたので、シャワーを浴びようと蛇口をひねると冷水。

よくある事だし諦めればいいんだけれど、夜は冷えるのでどうしても浴びたい。

廊下に出て受付(と言ってもこの宿にはそれらしい物は無く、入り口にソファーがあるだけ)に行くと誰もいない。

仕方ないので宿の番号に電話。

…うまく伝わらない。

結局、宿の人が来てお湯が出ないか何度もトライ。

結局ダメ。

悔しい。非常に悔しい。

翌日は国境を越えてパキスタン。

シャワーを諦めた僕は、国境のセキュリティに止められる事がないように、残りのチャラスを全部ジョイントにする。

出来上がったジョイントは今までにないぐらい会心の出来。

ぶっといジョイントに火をつけてこの日は就寝。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【14日目②】ワーガ国境にて大興奮のフラッグセレモニー


スタジアムの中に入ると、すでに大勢の人。

次第に人が増えて満席に。

場所取りに苦労。


16時、写真中央の人が司会者兼盛り上げ役になってセレモニー開始。


大音量で流れるBGMと盛り上げ方が上手くて、会場が一気に湧き上がる。

もちろん僕も大興奮!

「BSF! BSF! BSF!」

BSFが何だかわからないけれど、一緒に手を上げて叫んだぜ!

するとインド人女性の集団(観客?)がやって来てノリノリでダンス。

もうこれ、国境を閉めるために必要なんですか?

いや、めっちゃ楽しいから有難いけれどw

会場もノリノリ。

この曲、いいなぁ。

そして夕日は綺麗。

見えているのがパキスタンとの国境の門。

パキスタン側もインドほどではないけれどスタジアム風になっていて、似たようなセレモニーをしている。


パキスタン側と声を出していつまで息が続くか合戦。

どこまで足を高く上げれるか合戦。

競ってることはくだらないけど、凄いw

会場も大盛り上がり。

「ヒンドゥスタン」って初めて聞いた言葉。

響きと使われ方で「インド」か「インド人」のことかなー?って思ったらやっぱりそうみたい。

パキスタン側と対決の図。

パキスタンとの息が合っている。

こんなショー的な感じにセレモニーは進行。

17時直前に両国同時に国旗が下される。

そして17時ジャスト、国境の門が両国同時に閉めらる。

このシーンはちょっと感動。

チョー楽しかった。

皆で叫んだBSFって、流れからあの軍隊的な人達のことを指しているのはわかったけれど、カッコイイじゃん!

BSF、シビレたぜ!

BSF!BSF!BSF!

それにしてもこのセレモニー、インド側とパキスタン側で月イチぐらいでミーティングでもやってんのかな。

肺活量対決や足上げ対決とか、両国の息がピッタリと合っていたし、同時に門を閉めていたし。

たぶんミーティングやってるな。

仲の悪い両国のエリートが集まって「このタイミングで足上げ隊が2人づつ門に向かって歩いて、このタイミングで右足上げようか」なんて話し合っているシーンを妄想したら笑える。

アムリトサルに行く機会がある人は絶対に見るべし。

帰りは駐車場まで凄い人の数。


途中、お土産屋があったからBSFのTシャツを購入。

デザインもカッコイイぜ!

(帰国後、身体がデカくて入らないことに気づいて嫁さんの友達にあげた)


待っているドライバーとうまく落ち合えるか不安だったけれど、無事会うことができて一路アムリトサルへ。

途中でBSFって何の略か聞いたら「Border Security Force」とのこと。

なるほど。

他にも色々話しながら帰ったんだけれど、途中で僕の英語力がついていけないところがあった時、彼が

「国も言葉も違うんだから、ミスコミュニケーションは当たり前だよ」

とさらっと言ったことが印象的。

多民族、他宗教、多言語のインドだからなのか、国境の街だからなのか、彼の感性からなのか、その言葉が優しく感じて、なんだか少し肩の荷が下りた感覚になる。

ーーーお役立ち情報ーーー

  • フラッグセレモニーは16時頃開始
  • アムリトサルを14時頃出発するとちょうど良い時間に着く
  • 会場内はカバンの持ち込み不可
  • カバンは預かり所があるので預けること。100ルピー

ーーーーーーーーーーーー

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【14日目①】アムリトサル、朝の路地風景とフラッグセレモニー


ーーーこの日のミッションーーー

  • 宿を移る
  • パキスタンルピーへ両替する
  • フラッグセレモニーを見学する

ーーーーーーーーーーーーーーー

8時頃に起きてダラダラ。

2泊で予約していた宿になぜか部屋が無く、この宿に1泊することになっている僕は、元々予約していた宿へ引越ししなければならない。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【13日目②】アムリトサルの迷宮路地と黄金寺院


(この文章の一部はフィクションです)

18時過ぎに思い腰を上げて、何か食べることに。

よく考えれば、この日は胃にほとんど入れていない。

宿を出ると外は冷えている。

この街は細い路地が入り乱れていて方向感覚を失わせる。

すごい好きな雰囲気。

前回の旅で訪れたバングラデシュのダッカをコンパクトにした雰囲気の街。


飯屋を見つけたので中に入ってみる。

頼んだのはバターチョウミンと、


スイートコーンスープ。


冷えた身体がやっと温まる。

バターチョウミンはバターの香りがとても良い。

さっきまで身体が重くて寒くて「風邪でも引いたか?」と心配になったけれど、なんて事は無い。ただの燃料切れ。

気力も体力も戻ったので、街を少し歩くことにする。

路地には牛やロバ、野良犬。


狭い路地が縦横無尽。

迷子になりそう。


金物屋さんかな?

いい味出してる店。


写真を撮らせてもらっていたら「子供と一緒の写真も撮れ」と言われる。


路地散歩に戻ると、道の真ん中にほこら的なものを発見。

RPGだったらセーブポイントに違いない。


わかりづらいけど、写真中央右から左上に伸びている物体は木。

ほこらから伸びている。

この写真だと根本がわかりやすいかな。


地域の人に大事に祀られていることがうかがえる。

当てずっぽうに歩いたから方向がわからなくなる。

けれどGoogleマップはあえて使わずに探検を続行。

しばらくすると大きな広場の脇に出る。

アムリトサルに来たら、是非行きたかった黄金寺院の敷地。

宿はこの寺院の脇にあるから、寺院沿いを歩けば戻ることができる。

なんで黄金寺院を見たかったのか理由は忘れたけれど、もう10年以上も前から見たいと思ってた気がする。

パキスタンとの国境近くにあって、シク教の総本山。

シク教ってのは、ヒゲを生やしてターバンを巻いた、まさに日本人がイメージするインド人像なんだけれど、実はインドでは少数派らしい。

彼ら彼女らは肉を食べるからインド人の中ではガタイがいい。(食べない人もいる)

アムリトサルはシク教の聖地なのでターバン率が高い。

たぶん80%ぐらい。(感覚値)

入り口を見つけたので早速入ってみる。

寺院内は神聖な場所なので土足厳禁。

靴を預けて裸足になる。

皆の脱いだ大量の靴が床にあり、その靴を長い棒で丁寧に揃える係の人がいる。

(こりゃ帰りに靴を探すの大変だな)

裸足で寺院内部に入る前に、浅めのプールのような足を洗う場所がある。

足を清めなければならない。

冷たい。

その後城門のようなものをくぐる。

するとえらい剣幕で座っている人に怒られる。

超ビビる。

髪(僕の場合は頭皮だが)を隠さないと中に入れないらしい。

バンダナ的な布が置いてあって、それを巻けとのこと。

髪を隠すことはシク教徒が大切にしている。

礼を欠いたことをしてしまい反省。

そしてゲートをくぐる。


感動した。

一気にテンションが上がった。

黄金寺院が「黄金」と言われる所以を体感。

すごい広い敷地、そのすべてが綺麗。

夜に来て良かった。

でもこれだけじゃない。

敷地の中央には大きな池があって、その池の中央に天守閣的な建物がある。

日本語だと内院?そんな感じの建物。


写真右から伸びている内院へ向かう通路には、大勢の人が行列を作っている。

さすが総本山。

世界中のシク教徒が、この地を訪れることに心の安らぎを感じているんだろうな。

周囲を見ると、地に伏せてお祈りをしていたり、池の縁できらびやかな灯りを見ていたり。

いやー、本当に黄金寺院だわ。


池を一周しなから見惚れる。


そんなこんなで黄金寺院は感動。

宿から寺院までは歩いて3分なので、翌日もまた来よう。

帰りに預けた靴を取りに行ったら、靴を揃える係の人が僕を見ただけで沢山ある靴の中から僕の靴を探し出し、長い棒で器用に目の前に揃えてくれる。

プロって凄い。

宿に戻ると受付に人がいる。

払ってなかったラッシー代を払って部屋に戻る。

宿の屋上で前日にラジュから手に入れたチャラスを吸おうと思い、部屋でタバコをほぐして巻き巻き。

再び部屋を出て、宿の人に屋上へ行きたいとお願い。

階段を登ると、2階はオーナー一家の住居の模様。

屋上へ出ると、黄金寺院が綺麗。


いや、最高。

「アムリトサルって素敵だな」とか「シク教徒ってこんな素敵な街を聖地にしているのかー」とか感慨にふける。

オーナーは屋上の鍵を開けてから下りると思っていたんだけれど、僕と話したいみたい。

目の前で吸ったら良くないかとも思ったんだけれど、断ってからチャラスに火を着ける。

後で知ったんだけれど、黄金寺院の周囲はシク教徒にとって神聖な場所だから禁煙らしい。

オーナーは特別に目をつぶってくれたんだと思う。

オーナーとは屋上で色々話す。

互いの仕事の事(僕の場合は無職なのでやってた仕事の事)、家族の事、文化風習の事、旅の事。

そして部屋に戻ると電話が鳴る。

着信はデリーでお世話になったラジュから。

ラジュ「急に電話してごめんね。僕とLINEが繋がってる人へ、僕の名前を名乗って詐欺する奴がいるみたいだから、気を付けて欲しいと思って電話したんだ」

どこまで行っても親切で日本人のような距離感。

ありがとう。

本日はこれにて就寝。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【13日目①】列車でデリーからアムリトサルへ、予約していた宿に部屋は無し


(この文章の一部はフィクションです)

ーーーこの日のミッションーーー

  • 列車でアムリトサルへ行く
  • 黄金寺院を見る

ーーーーーーーーーーーーーーー

7:20の列車に乗る予定なので5時に起床。

インドとは言え、11月の朝は冷える。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【12日目②】デリーでインド人と宅飲み


(この文章の一部はフィクションです)

飛行機は3時間でデリーに到着。

荷物を受け取って両替してから、まだ見ぬラジュのいる空港出口へ。

しばらくキョロキョロしてるとインド人男性が大きく手を上げてこっちへ来る。

ラジュ「いたいた!」

僕「どーも。ラジュさんですよね?」

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【12日目①】さらばゴア、飛行機でゴアからデリーへ


(この文章の一部はフィクションです)

ーーーこの日のミッションーーー

  • レンタバイクを返却する
  • 飛行機でデリーへ行く
  • ラジュと合流する

ーーーーーーーーーーーーーーー

この日は移動日。

悲しいかな、堕落しきったゴアでの日々と涙のお別れ。

9時頃に起きて、ダラダラと身支度して、10時頃に部屋を出る。

「どうせ受付小屋には誰もいないだろうし、果たしてチェックアウトできるのだろうか」と不安があったけれど、庭に出たら宿の子供が掃除をしている。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【11日目】ゴアのラストナイトはHill Top Goa


(この文章の一部はフィクションです)

また記憶の無い1日。

記録では晩飯とクラブ活動のみ。

なのでたぶん昼頃起きて、バルコニーでお決まりの行動。

YouTubeと音楽と電子書籍の時間。

YouTubeはインド行きの機内で聴きすぎて耳から離れなくなった乃木坂。

音楽はゴアトランス。

電子書籍は、たぶん「特攻の島」でも読んでいたんだと思う。

ここ数日と同じで昼飯すら食べず、ポートワインとジュースとミネラルウォーターのみで引きこもり。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【10日目】ゴアで廃人ニートはやめられない


(この文章の一部はフィクションです)

この日はもっと怠惰。

昼に起きて一服。

そのまま外に行くのが面倒になって夜まで部屋に引きこもり。

たまにバルコニーで一服しながら、ベッドの上で「監獄学園」でも読んでいたんだと思う。

記憶は無い。

夜になって重い腰を上げてバイクで海まで。

本日の1食目、ってか本日も1食だけ。

店の場所はココ。San Francisco's Bar & Restaurant。

この店は3回目。

この日もビーフステーキは無かった。

まずはビール。


続いてエッグヌードルとチキン。


普通に美味い。

食べ終わって、本日のクラブ活動へ出勤。

クラブの場所はココ。Cafe Lilliput。

誰もいない。

けれど海は綺麗。


手持ち無沙汰になってカクテルを注文。

「blue lagoon」と言うらしい。甘かった気がする。


フロアはこんな感じ。


この日も若干の消化不良を感じながらクラブを後にする。

帰りに引きこもり用のジュース類を買って帰宅し、この日は終了。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【9日目】バルコニーから眺めるゴアの静寂


(この文章の一部はフィクションです)

昼に起床。

怠惰な生活は止まらない。

どこで昼飯を食べようかとバイクを走らせる。

もちろん警察署の前は通らない。

結局、アンジュナの土産物屋が集まっているエリアにある飯屋に入る。

店の場所はココ。Sea Rock Bar & Restaurant。

頼んだのはカレー。(何カレーかは失念)


美味い。

アラビア海は静かだ。

今日も牧歌的な1日が始まる。


食べ終えたら、宿に戻って「ヒナまつり」を読む。

「ヒナまつり」は超オススメ。

面白すぎる。

合間合間でバルコニーに出てチャラスを一服。

庭を見下ろすと、宿の少年が何やら作業をしている。

お互い目で挨拶。

横を見ると、別の部屋に宿泊しているインド人も一服しながら庭を見ている。

平和で静寂な時間。

こんな時間が永遠に続くといいな。

気がついたら夜。

クラブ活動にでも行くかと、バイクを走らせる。

クラブの場所はココ。Plan B(UV Bar)。

フロアは人が少ない。


僕以外はインド人100%。

ほとんどが飯を食っている。

インド人って踊らないのかな?いや、Hill Top Goaでは皆踊っていたし。

チャラスに酔いながら音を聴いて、なんか盛り上がらないのでこの日は宿に帰って終了。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【8日目】引きこもり生活とクラブ活動


(この文章の一部はフィクションです)

また昼に起床。

ゴミ箱がいっぱいになってしまったので、また部屋の外に置いて出掛ける。

この日は初日に入った歩いて行ける店で食事。

店の場所はココ。Nic Ice Creams。

バニラシェイク。


チョー美味い。

ホワイトソースのパスタ。


美味い。

これを選んだ理由は、前に他の店で食べたパスタがすんごい辛かったから。

インドのパスタって全般的に辛いのかな?

ホワイトソースなら安全だと思ってチョイス。

隣の商店に入って、引きこもり用アイテムを入手。


このグアバジュース、美味かったなー。

宿に戻るとまたゴミ箱ごと無くなっている。

宿の子供(今回は女の子)にゴミ箱を返して欲しいと言ったら、また通じない。

それをバルコニーから見ていたインド人のお客さんが間に入ってくれて、ようやくゴミ箱を入手。

また別の部屋にあったゴミ箱を僕にくれる。

その部屋の人が困るだろうに。

その後はたぶん一服しながら「新ブラックジャックによろしく」の続きを読んだと思う。

記憶は無い。

夜はクラブ活動へ。

クラブの場所はココ。Curlies Beach Shack。

こないだ道に迷ってたどり着けなかったクラブ。

今回は迷わず行けたぜ!

フロアは盛り上がっている。


最高!


動画だとこんな感じ。

そしてチャラスがある程度醒めたところで退散。

良い子は朝まで踊りません。

宿に戻ってこの日は就寝。