旅とか雑記とかを冗長に
「I miss you」ってフレーズは、英語が得意でなくとも多くの人が「寂しい」とか「会いたい」とかの意であることを知っていると思う。
今回はこのフレーズが巻き起こした出来事と相互文化を理解することの重要性について綴りたい。
インドのコルカタで出会ったジミ(仮名)との話。
ジミは日本で働いていたことがあるらしく、他にも色々な共通点があって意気投合。
LINEを使っているとのことで、早速交換した時の画面がコチラ。
彼とのコミュニケーションは英語だが、彼は簡単な日本語ならできる。
しかしあまり日本語で話したくないらしい。
実際、僕が会話中の英語に詰まると日本語で言い直してくれたことがある。日本語はそこそこのレベルで話せると推測。
本当に日本に住んだことがあるのだろうか、僕は騙されているんじゃないだろうか、と最初は疑ってかかったけど、僕の住んでいる街のローカルな話や見せてくれた日本での写真から判断するに、ジミは嘘をついていないことがわかった。
インドってこうやって人を疑うところから始まって、疑ったことに自己嫌悪するお決まりのパターンで毎度疲れる。それだけ嘘つきが多いんですが。
共通点と言えば、生まれた年が同じだったり、ネット上での名前が「ぴーす」だったり、スキンヘッドだったり。まあ色々。
そんな彼とは2日間一緒に遊んで、コルカタのローカルな酒場だったりお姉ちゃんが踊っている店に行ったり、あんな物を吸ったり飲んだりして過ごした。
彼とのエピソードはこちら
アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【12日目②】ついにゴールのコルカタへ
旅行
そして最後の夜、彼と別れて宿で一人あんな物を吸ってグルグルになっている時に一通のLINEが来た。
それがコレ。
僕の英語がイマイチなのは勘弁して欲しい。大事なのは気持ちだから。
Brother r u free now?(時間ある?)
いや、さっき別れたばかりじゃないか。
i miss you.(会いたいよ)
うーん。。。
正直に話すと、このメッセージをもらった時にこう思った。
ジミはホモなのか?僕の菊門を狙ってるんじゃないのか?
どんな返信がベストなのかわからず、そして紫煙で頭がグルングルン回っていたので素面になってから返信しようと、翌日空港に着いてから何気無い返信をしておいた。
このジミが使った「i miss you」というフレーズ、すごく気になって帰国後に色々調べてみた。
僕を含めた多くの日本人は異性に対して使うフレーズと思っているけど、同性に対して使っても何ら不自然ではないらしい。
例えば友人と数年会えなくなる場合、見送りに行った空港で「しばらく会えなくなるのは寂しいな」なんて状況で使えるらしい。
ここで2つ重要なことがある。
この2つを理解していることが前提で、初めてi miss youを用いた異文化コミュニケーションが齟齬なくできることになる。
どちらが欠けても僕のように誤解が生じてしまう。
ちなみにインドでは男性同士が手を繋いで歩いている光景をよく見るので、重要事項の後者は満たしていると推測する。
どんだけ仲良しだよ。
なので今回の場合も決して僕の菊門を狙っているわけではなく、自然な会話だった可能性が高いのだ。
ここまで理解しても、やはり僕には男性が男性に対してi miss youを使用するのには抵抗がある。
これは普段同性に対して「寂しくなるな」などのフレーズを使わないからだろう。
数ヶ月後、再度インドへ行くことになった。
その際、珍しく僕からジミにLINEを送った。
それがコレ。
If possible come KOLKATA for 2 days. Let’s enjoy. Then take a flight for Goa.
(コルカタに2日間滞在して遊ぼうよ。その後ゴアに行けばいいよ)
You can stay in my house. Welcome bro.
(俺の家に泊まりなよ。歓迎するよ)
ぐいぐい来る。
インド人のこの距離感、苦手。
ジミごめん。コルカタには今回行かないんだ。
そしてやっぱりi miss youの記憶が片隅にチラチラして菊門の危機を感じる。
先に書いた「インド人の距離感」。
毎回思うに物凄い距離感が近い(心理的にも物理的にも)。パーソナルスペースとか一切無視。
過去にミャンマーからインドへ国境を超えた際、乗合タクシーで同乗したインド人に「お前は幸せか?」っていきなり聞かれたぐらいパーソナルスペースが皆無。
こう感じるのは僕が人と接するときに必要以上に距離をおくタイプの人間だからなだけではないと思う。
ある日深夜に目が覚めるとジミからLINEが来ていた。
時間は午前3時頃。
インドとの時差は3時間半なので、ジミの時間は0時前ってことになる。
BRO I miss you. When you come KOLKATA? Stay my house.
(寂しいよ。いつコルカタに来てくれるんだい?俺の家に泊まりなよ)
i miss youの用法はバッチリマスターしているけど、それでも貞操の危機を感じるのは僕が歪んでいるのだろうか。
Now you can call me. Brother call me.
(電話してくれよ。お願いだから電話をくれよ!)
流石に少し怖くなった。
嫁さんが隣で寝ているからできないと言うとこうである。
Little slowly talk.
(囁き声で電話しようぜ)
恋人かよ。
インド人、悪気なくグイグイ来るんだよなー。
そしてダメ出しの一言。
Tomorrow you call me.
(明日は電話くれよな)
書き始めた時には、i miss youの用法と相手の文化を尊重しなければ異文化コミュニケーションは成立しない的なことを書きたかったんだけど、結果的にジミに菊門を狙われているんじゃないかって不安を書く羽目になってしまった。
ジミには色々感謝しているところもあり、また旅先でこれほどまでに気が合う友人ができたことに喜びも感じている。
ジミの真意がどうであれ、旅の出会いは財産である。
ジミとはその後もLINEのやり取りをしている。
僕は筆不精なので一方的にジミからLINEが来るのだが。
そしてジミ。勝手にLINEをWebに上げてゴメン。
了
ーーーこの日のミッションーーー
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10時ぐらいにチェックアウト。
この日は入り口のソファーに宿の人が座っている。(やっぱりターバン)
国境まで行きたい事を相談したら、車を呼んでくれることになる。
車を待っている間、ターバンお兄さんと話。
お兄さんから、是非宿のレビューをしてくれと頼まれる。
事前に予約していたのに部屋が無いからって別の宿に行かされたり、ホットシャワーが出なかったり、入り口のソファーは常に無人だし、レビューに書いていいのかな。
でも部屋は清潔で、何か相談したらすぐに対応してくれたり、黄金寺院から近いロケーションだったり、良い印象も多い。
先に書いたマイナス要素はインドでは気にする類いのものじゃないか。
しばらく待っているとドライバーがやって来る。
ターバンお兄さんにお別れを言い、車に乗り込む。
あまり話が弾まないまま40分ぐらいで国境に到着。
車はここまで。
この先にある建物が出入国の場所らしい。
ーーーお役立ち情報ーーー
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出国は問題無く通過。
バスに乗るように言われる。
バスに乗ったまま15分。誰も来ない。
軍人(BSF?)が来て、あっちのバスに乗れと言われる。
待ち損。
バスの乗客は僕を含めて3人。
変な時間ではないのに人は少ない。
前日のフラッグセレモニー会場。
ここでバスを下ろされる。
この景色、チョーいい!
会場のど真ん中を歩いて先に見える門へ
門が近づいて来る。
ここでインド側の門番に出国スタンプが押されたパスポートを見せ、いくつかの質問に答える。
そしてインド側の重々しい門が開かれる。
続いてパキスタン側の重々しい門も開かれる。
やっぱりパキスタン側の門番からもいくつかの質問があり、パスポートのビザを確認すると「Welcome to Pakistan」と言われて通過を許可。
いやー、感動。
この広いスタジアム風の敷地に、国境を越える人は僕1人だけ。
見た目が「いかにも国境」と言う雰囲気。
僕のためだけに重厚な門が開かれたり、「Welcome to Pakistan」だなんて。
是非是非、機会があればこの国境の感動を他の人にも味わって欲しい。
パキスタン側は、インド側と比較しすると小さなスタジアム。(それでも十分立派だが)
国力の差なのかな。
パキスタン側
インド側
パキスタン側の入国をするため、スタジアムを抜けてそれらしい建物に入る。
荷物チェックはかなり厳重。
入国手続きをしている人は僕を含めて5人ぐらい。
これだけ大きい国境なのに、随分と少ない。
インドとパキスタンは物流も人の移動もほぼ無いみたい。
そして無事に入国。初パキスタン。
左が入国スタンプ、右がパキスタンビザ。
シンプルでカッコいい。
建物を出て、この日の宿泊地であるラホールへ行く手段を探そうとするけれど、辺りには誰もいない。
仕方ないので少し歩くと人が数人いるのを発見。
僕「あのー、ラホールまで行きたいんですが」
パキスタン人「俺の車で行きなよ」
他に人はいないし選択肢は無い。
僕「パキスタンルピーを持ってないから両替してもらえます?」
インド側でもパキスタン側でも両替所は見なかった。
誰かに両替してもらわないと先へは進めない。
結局両替もOKで、手持ちのインドルピー全部と米ドルを少しパキスタンルピーに両替。
そして助手席に乗り込んでラホールまで1時間弱。
運転手は予約していた宿を知らないらしい。
「カーナビにセットしてくれ」と言われたので、僕が目的地を設定。
カーナビがある事にも驚いたけれど、今のカーナビって地図がgoogleマップなのね。そっちの方が驚き。
道中は色々パキスタンの事を教えてもらう。
今から行くラホールは、真夏に気温が50度を超えるとか。
50度超えって死んじゃうじゃん。
息しても、入って来る空気は熱風じゃん。
そしてインドに対する感情についても聞いてみる。
僕「やっぱ、インドに対しては悪い感情とかあるんですか?」
運転手「政治的には対立しているけれど、個人的に悪い感情は持っていないよ。他のパキスタン人も僕と同じじゃないかな?」
運転手「そもそもパキスタンとインドは元々一つの国だから、言葉も文化的も似ているよ」
僕「そうなんすか。僕の国には国境が無いから不思議な感覚です」
運転手「韓国と北朝鮮みたいなもんだよ」
僕「なるほど。わかりやすい」
「韓国と北朝鮮」の例えがすごくわかりやすい。
インドとパキスタンは文字はまったく違って見えるけれど、言語(ヒンディー語とウルドゥー語)は相互理解が可能って聞いたことがある。
そう言えば、デリーでお世話になったラジュはウルドゥー語も話せるって言っていた。
運転手曰く、料理もインドと大して変わらないらしい。
すごく勉強になったし、有意義な会話。
ーーーお役立ち情報ーーー
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(この文章の一部はフィクションです)
アムリトサルの宿に戻った時には、すでに辺りは真っ暗。
宿で少し休んでから、街をふらつきながら何か食べようと外に出る。
タバコを吸っていたら、シク教徒のおじさんに怒られる。
この時初めて黄金寺院の周囲が禁煙なことを知る。
知らなかったとは言え、シク教徒にとって大切な場所でごめんなさい。
どうりで、この街にはタバコ屋が少ないわけだ。昨晩は探すのに苦労した。
そして見つけたのは謎肉焼きの屋台。
炭火で串焼き、美味そう。
注文すると、ドレッシング的なものがかかって出て来る。
美味いかと聞かれたらビミョー。
結局最後まで何の肉かわからなかった。
豆腐のような、鶏肉のような。
食べ終わってしばらく歩いてから、ある事を思い出してビビった。
さっきの屋台にお金を払っていない。
青ざめた。
急いで戻ってお金を払う。
僕「ごめんなさい。お金を払っていませんでした」
屋台の人「ははは。君がどこ行ったのか考えていたよ」
隣のバングラデシュで教わったんだけれど(たぶんインドも共通)、この地域では飲食が終わって立ち去る時に料金を支払うとのこと。
商品の受け渡し時では無い。
商店でジュースを買ってその場で飲む時も飲み終わってから払うし、屋台で食べた時もチャイを飲んだ時も帰り際に支払う。
いつか食い逃げしちゃうんじゃないかと思っていたら、やっちまった。(戻って払ったけど)
でもよく考えたら、日本ではお祭りの屋台の場合は商品と支払いは同時だし、レストランだと後払い、食券制の店は先払い。
普通にできてるけれど日本の方が複雑かも。
さらに歩くと、看板に「パンジャビラッシー」と書かれた店を発見。
「パンジャビ」はこの街のある地域のこと。
普通のラッシーと何が違うのか興味が湧く。
僕「パンジャビラッシーください」
店員「ごめん、無いんだわ」
僕「看板にあるじゃん」
店員「隣の店にならあるよ」
隣の店へ移動。
僕「パンジャビラッシーください」
店員「はいよー」
出て来たのは普通のラッシーと何一つ変わらない飲み物。
一体何が違ったんだろう。
ラッシーは美味かったからいいんだけれど。
黄金寺院周囲の一番栄えている場所はきらびやか。
あまり興味のあるお土産は無かったけれど、イスラムのクルッと曲がったナイフを売っていたのは印象的。(ジャンビーヤナイフ?)
欲しいけど使いどころが無いな。
で、また黄金寺院へ。
2日連続でも見飽きない。
この日は前日よりも入念に見ることにする。
天守閣的な建物へ、異教徒の僕が入れるかドキドキしながら潜入を決行。
行列に並んでも怒られる気配は無い。
(シク教は排他的ではないし、豊める人も貧しい人も平等に接する教えがあるらしいので、異教徒の僕を受け入れてくれるんだと勝手に思ってる)
建物の中に入る際、皆が敷居の所で膝をついて土下座するようにオデコを敷居に付けている。
当然僕もそれにならう。
建物内もキンキラキン。すんげぇ綺麗。
その中で民族楽器的な何かで演奏をしている。
そしてグル的な人が何かを唱えている。
並んでいる人は順番にオデコを床に付けて祈っている。
建物を出ても通路の端で座って目を瞑っている人が沢山。
すごく神聖な感じ。
心底来て良かったと思う。
池の中央にある天守閣的な建物へ続く通路を戻ったら、謎のお菓子を配っている。
せっかくなので食べてみる。
美味い。
ほのかな甘みとナッツの香り。
シク教って皆平等に食べ物を食べる習慣があるから、皆に配っているのかな。
この寺院内にも無料で(と書くのもなんか違うかもだけれど)食事をいただける場所があるらしい。
そう言えば、バンコクにも無料で食事できるシク教の寺院がある。
黄金寺院を後にして、宿の近くをブラブラ。
途中、商店でお土産にマギー(インスタントラーメン)を大量購入。
その後お菓子屋さんがあったので、謎の白いお菓子を購入。
部屋に戻って、買ったお菓子を食べると絶品。
1個だけじゃなく、沢山買えば良かった。
この日はとても疲れたので、シャワーを浴びようと蛇口をひねると冷水。
よくある事だし諦めればいいんだけれど、夜は冷えるのでどうしても浴びたい。
廊下に出て受付(と言ってもこの宿にはそれらしい物は無く、入り口にソファーがあるだけ)に行くと誰もいない。
仕方ないので宿の番号に電話。
…うまく伝わらない。
結局、宿の人が来てお湯が出ないか何度もトライ。
結局ダメ。
悔しい。非常に悔しい。
翌日は国境を越えてパキスタン。
シャワーを諦めた僕は、国境のセキュリティに止められる事がないように、残りのチャラスを全部ジョイントにする。
出来上がったジョイントは今までにないぐらい会心の出来。
ぶっといジョイントに火をつけてこの日は就寝。
スタジアムの中に入ると、すでに大勢の人。
次第に人が増えて満席に。
場所取りに苦労。
16時、写真中央の人が司会者兼盛り上げ役になってセレモニー開始。
大音量で流れるBGMと盛り上げ方が上手くて、会場が一気に湧き上がる。
もちろん僕も大興奮!
「BSF! BSF! BSF!」
BSFが何だかわからないけれど、一緒に手を上げて叫んだぜ!
するとインド人女性の集団(観客?)がやって来てノリノリでダンス。
もうこれ、国境を閉めるために必要なんですか?
いや、めっちゃ楽しいから有難いけれどw
会場もノリノリ。
この曲、いいなぁ。
そして夕日は綺麗。
見えているのがパキスタンとの国境の門。
パキスタン側もインドほどではないけれどスタジアム風になっていて、似たようなセレモニーをしている。
パキスタン側と声を出していつまで息が続くか合戦。
どこまで足を高く上げれるか合戦。
競ってることはくだらないけど、凄いw
会場も大盛り上がり。
「ヒンドゥスタン」って初めて聞いた言葉。
響きと使われ方で「インド」か「インド人」のことかなー?って思ったらやっぱりそうみたい。
パキスタン側と対決の図。
パキスタンとの息が合っている。
こんなショー的な感じにセレモニーは進行。
17時直前に両国同時に国旗が下される。
そして17時ジャスト、国境の門が両国同時に閉めらる。
このシーンはちょっと感動。
チョー楽しかった。
皆で叫んだBSFって、流れからあの軍隊的な人達のことを指しているのはわかったけれど、カッコイイじゃん!
BSF、シビレたぜ!
BSF!BSF!BSF!
それにしてもこのセレモニー、インド側とパキスタン側で月イチぐらいでミーティングでもやってんのかな。
肺活量対決や足上げ対決とか、両国の息がピッタリと合っていたし、同時に門を閉めていたし。
たぶんミーティングやってるな。
仲の悪い両国のエリートが集まって「このタイミングで足上げ隊が2人づつ門に向かって歩いて、このタイミングで右足上げようか」なんて話し合っているシーンを妄想したら笑える。
アムリトサルに行く機会がある人は絶対に見るべし。
帰りは駐車場まで凄い人の数。
途中、お土産屋があったからBSFのTシャツを購入。
デザインもカッコイイぜ!
(帰国後、身体がデカくて入らないことに気づいて嫁さんの友達にあげた)
待っているドライバーとうまく落ち合えるか不安だったけれど、無事会うことができて一路アムリトサルへ。
途中でBSFって何の略か聞いたら「Border Security Force」とのこと。
なるほど。
他にも色々話しながら帰ったんだけれど、途中で僕の英語力がついていけないところがあった時、彼が
「国も言葉も違うんだから、ミスコミュニケーションは当たり前だよ」
とさらっと言ったことが印象的。
多民族、他宗教、多言語のインドだからなのか、国境の街だからなのか、彼の感性からなのか、その言葉が優しく感じて、なんだか少し肩の荷が下りた感覚になる。
ーーーお役立ち情報ーーー
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ーーーこの日のミッションーーー
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8時頃に起きてダラダラ。
2泊で予約していた宿になぜか部屋が無く、この宿に1泊することになっている僕は、元々予約していた宿へ引越ししなければならない。
(この文章の一部はフィクションです)
18時過ぎに思い腰を上げて、何か食べることに。
よく考えれば、この日は胃にほとんど入れていない。
宿を出ると外は冷えている。
この街は細い路地が入り乱れていて方向感覚を失わせる。
すごい好きな雰囲気。
前回の旅で訪れたバングラデシュのダッカをコンパクトにした雰囲気の街。
飯屋を見つけたので中に入ってみる。
頼んだのはバターチョウミンと、
スイートコーンスープ。
冷えた身体がやっと温まる。
バターチョウミンはバターの香りがとても良い。
さっきまで身体が重くて寒くて「風邪でも引いたか?」と心配になったけれど、なんて事は無い。ただの燃料切れ。
気力も体力も戻ったので、街を少し歩くことにする。
路地には牛やロバ、野良犬。
狭い路地が縦横無尽。
迷子になりそう。
金物屋さんかな?
いい味出してる店。
写真を撮らせてもらっていたら「子供と一緒の写真も撮れ」と言われる。
路地散歩に戻ると、道の真ん中にほこら的なものを発見。
RPGだったらセーブポイントに違いない。
わかりづらいけど、写真中央右から左上に伸びている物体は木。
ほこらから伸びている。
この写真だと根本がわかりやすいかな。
地域の人に大事に祀られていることがうかがえる。
当てずっぽうに歩いたから方向がわからなくなる。
けれどGoogleマップはあえて使わずに探検を続行。
しばらくすると大きな広場の脇に出る。
アムリトサルに来たら、是非行きたかった黄金寺院の敷地。
宿はこの寺院の脇にあるから、寺院沿いを歩けば戻ることができる。
なんで黄金寺院を見たかったのか理由は忘れたけれど、もう10年以上も前から見たいと思ってた気がする。
パキスタンとの国境近くにあって、シク教の総本山。
シク教ってのは、ヒゲを生やしてターバンを巻いた、まさに日本人がイメージするインド人像なんだけれど、実はインドでは少数派らしい。
彼ら彼女らは肉を食べるからインド人の中ではガタイがいい。(食べない人もいる)
アムリトサルはシク教の聖地なのでターバン率が高い。
たぶん80%ぐらい。(感覚値)
入り口を見つけたので早速入ってみる。
寺院内は神聖な場所なので土足厳禁。
靴を預けて裸足になる。
皆の脱いだ大量の靴が床にあり、その靴を長い棒で丁寧に揃える係の人がいる。
(こりゃ帰りに靴を探すの大変だな)
裸足で寺院内部に入る前に、浅めのプールのような足を洗う場所がある。
足を清めなければならない。
冷たい。
その後城門のようなものをくぐる。
するとえらい剣幕で座っている人に怒られる。
超ビビる。
髪(僕の場合は頭皮だが)を隠さないと中に入れないらしい。
バンダナ的な布が置いてあって、それを巻けとのこと。
髪を隠すことはシク教徒が大切にしている。
礼を欠いたことをしてしまい反省。
そしてゲートをくぐる。
感動した。
一気にテンションが上がった。
黄金寺院が「黄金」と言われる所以を体感。
すごい広い敷地、そのすべてが綺麗。
夜に来て良かった。
でもこれだけじゃない。
敷地の中央には大きな池があって、その池の中央に天守閣的な建物がある。
日本語だと内院?そんな感じの建物。
写真右から伸びている内院へ向かう通路には、大勢の人が行列を作っている。
さすが総本山。
世界中のシク教徒が、この地を訪れることに心の安らぎを感じているんだろうな。
周囲を見ると、地に伏せてお祈りをしていたり、池の縁できらびやかな灯りを見ていたり。
いやー、本当に黄金寺院だわ。
池を一周しなから見惚れる。
そんなこんなで黄金寺院は感動。
宿から寺院までは歩いて3分なので、翌日もまた来よう。
帰りに預けた靴を取りに行ったら、靴を揃える係の人が僕を見ただけで沢山ある靴の中から僕の靴を探し出し、長い棒で器用に目の前に揃えてくれる。
プロって凄い。
宿に戻ると受付に人がいる。
払ってなかったラッシー代を払って部屋に戻る。
宿の屋上で前日にラジュから手に入れたチャラスを吸おうと思い、部屋でタバコをほぐして巻き巻き。
再び部屋を出て、宿の人に屋上へ行きたいとお願い。
階段を登ると、2階はオーナー一家の住居の模様。
屋上へ出ると、黄金寺院が綺麗。
いや、最高。
「アムリトサルって素敵だな」とか「シク教徒ってこんな素敵な街を聖地にしているのかー」とか感慨にふける。
オーナーは屋上の鍵を開けてから下りると思っていたんだけれど、僕と話したいみたい。
目の前で吸ったら良くないかとも思ったんだけれど、断ってからチャラスに火を着ける。
後で知ったんだけれど、黄金寺院の周囲はシク教徒にとって神聖な場所だから禁煙らしい。
オーナーは特別に目をつぶってくれたんだと思う。
オーナーとは屋上で色々話す。
互いの仕事の事(僕の場合は無職なのでやってた仕事の事)、家族の事、文化風習の事、旅の事。
そして部屋に戻ると電話が鳴る。
着信はデリーでお世話になったラジュから。
ラジュ「急に電話してごめんね。僕とLINEが繋がってる人へ、僕の名前を名乗って詐欺する奴がいるみたいだから、気を付けて欲しいと思って電話したんだ」
どこまで行っても親切で日本人のような距離感。
ありがとう。
本日はこれにて就寝。
(この文章の一部はフィクションです)
ーーーこの日のミッションーーー
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7:20の列車に乗る予定なので5時に起床。
インドとは言え、11月の朝は冷える。
(この文章の一部はフィクションです)
飛行機は3時間でデリーに到着。
荷物を受け取って両替してから、まだ見ぬラジュのいる空港出口へ。
しばらくキョロキョロしてるとインド人男性が大きく手を上げてこっちへ来る。
ラジュ「いたいた!」
僕「どーも。ラジュさんですよね?」
(この文章の一部はフィクションです)
ーーーこの日のミッションーーー
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この日は移動日。
悲しいかな、堕落しきったゴアでの日々と涙のお別れ。
9時頃に起きて、ダラダラと身支度して、10時頃に部屋を出る。
「どうせ受付小屋には誰もいないだろうし、果たしてチェックアウトできるのだろうか」と不安があったけれど、庭に出たら宿の子供が掃除をしている。
(この文章の一部はフィクションです)
また記憶の無い1日。
記録では晩飯とクラブ活動のみ。
なのでたぶん昼頃起きて、バルコニーでお決まりの行動。
YouTubeと音楽と電子書籍の時間。
YouTubeはインド行きの機内で聴きすぎて耳から離れなくなった乃木坂。
音楽はゴアトランス。
電子書籍は、たぶん「特攻の島」でも読んでいたんだと思う。
ここ数日と同じで昼飯すら食べず、ポートワインとジュースとミネラルウォーターのみで引きこもり。
(この文章の一部はフィクションです)
この日はもっと怠惰。
昼に起きて一服。
そのまま外に行くのが面倒になって夜まで部屋に引きこもり。
たまにバルコニーで一服しながら、ベッドの上で「監獄学園」でも読んでいたんだと思う。
記憶は無い。
夜になって重い腰を上げてバイクで海まで。
本日の1食目、ってか本日も1食だけ。
店の場所はココ。San Francisco's Bar & Restaurant。
この店は3回目。
この日もビーフステーキは無かった。
まずはビール。
続いてエッグヌードルとチキン。
普通に美味い。
食べ終わって、本日のクラブ活動へ出勤。
クラブの場所はココ。Cafe Lilliput。
誰もいない。
けれど海は綺麗。
手持ち無沙汰になってカクテルを注文。
「blue lagoon」と言うらしい。甘かった気がする。
フロアはこんな感じ。
この日も若干の消化不良を感じながらクラブを後にする。
帰りに引きこもり用のジュース類を買って帰宅し、この日は終了。
(この文章の一部はフィクションです)
昼に起床。
怠惰な生活は止まらない。
どこで昼飯を食べようかとバイクを走らせる。
もちろん警察署の前は通らない。
結局、アンジュナの土産物屋が集まっているエリアにある飯屋に入る。
店の場所はココ。Sea Rock Bar & Restaurant。
頼んだのはカレー。(何カレーかは失念)
美味い。
アラビア海は静かだ。
今日も牧歌的な1日が始まる。
食べ終えたら、宿に戻って「ヒナまつり」を読む。
「ヒナまつり」は超オススメ。
面白すぎる。
合間合間でバルコニーに出てチャラスを一服。
庭を見下ろすと、宿の少年が何やら作業をしている。
お互い目で挨拶。
横を見ると、別の部屋に宿泊しているインド人も一服しながら庭を見ている。
平和で静寂な時間。
こんな時間が永遠に続くといいな。
気がついたら夜。
クラブ活動にでも行くかと、バイクを走らせる。
クラブの場所はココ。Plan B(UV Bar)。
フロアは人が少ない。
僕以外はインド人100%。
ほとんどが飯を食っている。
インド人って踊らないのかな?いや、Hill Top Goaでは皆踊っていたし。
チャラスに酔いながら音を聴いて、なんか盛り上がらないのでこの日は宿に帰って終了。