旅とか雑記とかを冗長に
昨年「闇の子供たち」という本を読みました。この本を読んだのは2回目です。
この作品は一般的(何をもって「一般」かは定かではないですが)な感覚や性嗜好を持った人間であればショッキングな内容です。
江口洋介氏と宮崎あおい氏が出演する映画も公開されています。
今回はこの本を読んだことをきっかけとして、長年僕が感じている東南アジアの売買春についての本音を綴りたいと思います。
なお、本稿では幼児/女児/男児=12歳以下、少女/少年=13歳以上16歳以下、女性/男性=17歳以上と定義付けます。それ以外の表現は文脈から察してください。
タイの貧しい田舎に幼児ブローカーが来る場面から始まります。
8歳の女児が両親からブローカーへ売られ、最終的にバンコクにある売春宿へ辿り着きます。その魔窟のような宿が舞台です。
その子の姉は数年前に同じブローカーに売られてエイズを発症。商品価値がなくなった彼女は、生きたまま袋に入れられてゴミの処分場に捨てられます。瀕死の状態で故郷の村まで歩いて辿り着きますが、両親にも村人にも疎まれて父親に火を着けられて亡くなります。
物のように売買された幼児たちが暴力で支配され、売春宿に次々と訪れる外国人に肉体的にも性的にも虐待されていく様子が描かれています。
女児を犯し男児も犯す白人男性。
男児に薬物を摂取させて死ぬまで犯し続ける白人女性二人組。
子供同士で性交させ、その行為を録画する日本人。
そしてバンコクでNGO団体に所属する日本人女性と新聞記者の日本人男性。
そんな話です。
幼児売買春、人身売買、臓器移植は現実に起こっているノンフィクションとのこと。それを物語として脚色したものが本書になるのでしょう。
描写が妙にリアルで、細やかな取材のもとに生まれた作品だと想像できます。
ちなみに舞台であるタイで映画が公開されたときには「ノンフィクション」という言葉を削除されたらしいです。そりゃ、そうだ。
原作に登場する男性のプロフィールが「1947年生まれ、50歳」となっています。従って1997年頃のタイが舞台だと推測できます。
僕が初めてタイの地を踏んだのが1996年。
僕はこの時代に「闇の子供たち」の舞台に存在していたことになります。
学生時代に行った初めての海外以来、社会人になっても連休の度に東南アジアを中心に海外の国々を彷徨いました。
最初はガイドブックにあるような土地を巡っていましたが、それでは物足らなくなったのか、気がつけば都市部から離れた村や辺鄙な国境を越えるのが楽しくなっていました。
外国人が訪れない場所、誰も見たことがない風景、その土地にある風習、開国から間もない国。
「見る」から「感じる」という体験に比重を移してきたように思います。
趣味の山でも同じなのですが、スタート地点からゴール地点まで誰も描いたことのないような綺麗なラインを描きたい、とも考えていました。
とはいえ、インターネットを使えば辺境の地への行き方は検索結果に出てくる時代。僕の行為は「外道クライマー(宮城公博氏著)」で表現されている「落穂拾い(先人の切り開いた道を辿るだけの行為。真の冒険ではない)」なのでしょう。
日本でも遊郭跡や風俗街を歩くのが好きでした。怪しさや下衆臭さに風情を感じます。
地元だと町田市と相模原市の境界にあった「ちょんの間『田んぼ』」の細い路地探索とか面白かった。崩れそうな長屋に大胆な服を纏った女性たち(ほとんど外国人のおばさん)。
娼婦も客も、一人一人に僕の知らないストーリーを持っている。それを盗み見ているような気がして見ていて飽きなかった。何よりアングラ感があってスリル満点。
一般的な観光旅行であっても東南アジアで売買春の光景を目にすることができますが、旅を重ねてよりディープな場所を探すにつれ、このような場面を目にする頻度は高くなったように思います。いや、そっち方面のアンテナが敏感になったのかな。
タイにはゴーゴーバーなるものがあり、中ではお立ち台の上で水着の女性たちが踊っています。
彼女たちには番号札が付けられており、その番号で指名して一緒に飲むことができます。酒を飲みながら鑑賞するも良し、女性と話すも良し、幾ばくかの金銭を払ってお持ち帰りするも良し。
酒を運んでくれるスタッフ(おばちゃんや男性)にも番号札がついているという奇怪アミューズメント。そして大概ママさんは妖怪。
「女性」と書きましたが、生物学的男性(手術済みの美人からワイルド系まで多種多様)も多いです。
札束が宙にぶちまけられる光景や日本人男性が美女を連れ歩く光景も見ることができます。お金があればなんでもアリの世界。
僕は社会見学とお酒ついでに何度か行きました。タイ語も色々教えてもらいました。ほとんど忘れたけど。
最初は体験したことのない場で楽しかったけど、買う気はないし次第に飽きてきました。それなりに飲むとそれなりに金が必要だし。
他にも色々な形態のお店があるけど、行ったことないから良くわかりません。たぶん似たようなものだと思います。
このような場所は、タイに限らず東南アジアの国々であれば都市の一角にあっけらかんと軒を連ねています。
一方、国境に接する街では場末感強め。
不法に越境しての出稼ぎや幼児売買春の噂を聞きつけて足を運んだこともありますが、入ったら買わなきゃいけない雰囲気だったので店の前を通ることしかしませんでした。いきなり「不法入国者ですか?」なんて聞けるわけがないし。
これらの店で幼児売買春の現場は見たことがありません。でも明らかに十代の女性は大勢いました。
夜でも構わず出歩く僕が、全身でヤバいと感じて入れない一角は確かにありましたが。
2010年7月16日
僕はカンボジアのシアヌークビルにいました。
当時はマニアックな欧米人旅行者に好まれる海辺の街で、日本人旅行者は見かけませんでした。現在は中国資本が大量に投入されカジノやビルが立ち並び、当時の様相とはまるで違う街のようです。
夜、宿の近くにある店でハッピーハーブピザを食べようと外へ出ると、トゥクトゥクドライバーの男性から客引きされました。断っても案の定しつこい。
そして出てきた言葉が「女を紹介できる。子供もいる」でした。
- ニヤリ -
行かない理由がありません。
むしろこういうものが見たかった。
僕がビールを飲みながら青臭いピザを食べている間、彼は同じテーブルに座って僕が食べ終わるまで待つという謎の時間を過ごし、その後トゥクトゥクで現場に向かいました。
「買わない。見たいだけだ」きちんと確認はしてあります。
「オーケー、見てみて気が変わったら買えばいいさ」彼は言います。
スラムに行くと思いきや、トゥクトゥクは標準的な住宅街で停まり、目前の家の庭に通されました。
彼が何やら周りの住宅へ大声で叫ぶと、およそ10人の女児・少女たちが周囲の家からわらわらと集まってきます。
まるで「呼ばれたから行ってくるね」と家族に告げて出てきたような雰囲気。
リーダー格の少女が僕との交渉役のようです。
彼女は最年長で16歳だっけかな。目の前に一列に並んでいる子たちの年齢や金額も聞いたと思うけど、詳細は失念。
憶えているのは最年少の女の子が8歳ぐらいだったこと。日本人客も買いに来ること。そして買わずに帰る時、皮肉混じりに「シャイなのね」と言われて何故か敗北感に襲われたこと。
交渉が成立したら宿に連れて帰るのだろうか。それともこの家にある他人の汗が染み込んだシーツの上で一戦を交えるのだろうか。
そろそろピザが効いてくる時間だから宿に戻ろう。
事実として売買春は存在する。幼児売買春も存在する。
ハッピーハーブピザのくだりはフィクションとしてください。他は僕が見たありのままの光景と感じたことです。
色々と批判はあるでしょうが、僕個人としてはなんとも思っていません。
当然ながら需要と供給が存在するから成立する市場。需要側は性欲という原始的な欲求に従っての行動。供給側は対価を手に入れる。
家族を支えるために働いている人、生活費や小遣い稼ぎとして働いている人、天職だと思っている人。人の数だけ事情があるのでしょう。想像することはできますが、真実を知ることはできません。そして知ろうとも思いません。
「僕」という外国人はこの街を通り過ぎる大勢いるモブの一人でしかなく、彼女たちまたは彼らに対してジャッジをする立場にはない。ただの傍観者。
そもそも僕は人の善悪を判断できるような聖人ではありません。善悪なんて曖昧なものは個々の中で決めて従うものであり、自分や周囲への危害がない限り他者が口を挟むのは無礼。
そして何より、人の数だけ存在する価値観に対し自分の価値観に基づいて悩む行為は精神を消耗する。見た現実をありのままに受け入れるだけに留める。これは僕が何度も旅を続けて得た処世術の一つかもしれない。
ただ「闇の子供たち」で描かれている子供たちは不幸過ぎる。
暴力で支配されて不幸な運命を辿る世界は傍観者である立場でも辛い。
人は皆、幸福になる権利がある。
この物語で描かれている時代に僕がこの地に存在していたこと、そして特異な事実を見ることができたことは、少しでも意義のあることだと思いたい。
了
この本を読み終えてブログに書こうかなと思ったのが昨年の3月。その後何となく思いついたことを雑に書き、放置し、やっぱり真面目に書いて、投稿に至るまで14ヶ月かかりました。
随分と遅筆だなと我ながら呆れます。
作業着手前は大いに不安でした。
棚を作るようなDIYとは訳が違う。床を剥がして内部構造とお目見えするなんて職人の世界。自分にはハードルが高すぎると思っていました。
そう思いつつ、超巨大プラモをいじることができる、そしてこれを乗り切れば今後家のリフォームは自分でやるという選択肢を選べる、などと思っていました。
住宅関係のお金は結構かかるものです。少しでも安くしたいとの考えも当然ありました。
全体的な感想としては
すんげぇ疲れた。そして溝しゃくり巾木、テメェは絶対許さない。
満足感は十分でした。
自分が手を加えた床に今後不具合が生じても、ある程度は自らの手で直せるという自信も付きました。
そしてここまで書いてアレですが、予算が許せば職人さんにやってもらいたい。大変だから。
全作業時間は19時間。
その他毎日のようにホームセンターまで買い出しに行ったりで合計5日。
使った費用の内訳はこんな感じです。
工具は今後も使えるものだし、すでに持っていた工具を使ったりもしているので参考程度。
材料費は33,841円、人件費ゼロ。
完成を確認したのが大晦日。年をまたぐことなく終えれて良かった。
了
次にやるのは根太を平らにすること。
現在の根太の状態はこんな感じです。
接着剤によってフローリング材の一部が根太にこびりついています。
これらを剥がして平らにした状態で、床板を張ろうと計画。
作業はホームセンターでレンタルしたサンダー(電動のヤスリのようなもの)を使うので楽勝だと思っていました。
実際やってみるとサンダーは押さえる力が必要で大変。
そして面倒臭くていい加減にやってしまった個所があります。今となっては非常に心残りです。
サンダーで思ったほど平らにできなかったことと、フローリングをバールで剥がす際に少し根太を削ってしまった個所があったこと、これらが重なって最終的に仕上がった床の一部が体重で少し沈んでしまいました。
フローリングの沈みを直したら新しい床も沈む現象。一歩も前進できていない。
床の強度は断然上がったので、気持ちが許せばいいか。
この日の作業は6時間。
5日目。
この日は合板を根太の上に敷いて張り付ける作業。
この合板の上にクッションフロアを貼れば完成のはず。
今回初めて知ったのですが、僕が今までコンパネと呼んでいた板には種類があるらしいです。
正確にはコンパネと構造用合板があります。
コンパネはコンクリートを打設する際に型枠として使用するパネル。
構造用合板は壁や床材として使用するパネル。
シックハウスの原因となる物質を出さない構造用合板が床材として適切との理解。
どういう風に板を張るか、サイズは?など、結構慎重さが必要でした。
先に挙げた巾木問題があり、サイズの誤差があまり許されない状況でした。
ホームセンターでサイズを指定してカットしてもらい、実際に合わせてドンピシャだった時は安堵しました。
その後、電動ドリルドライバで根太の位置にビスを打ち込んで床材を固定し、写真の状態となりました。
電動とは言えビスを何本も打ち込むのは疲れる作業で、終わった時には握力がおかしくなっていました。
ここまで来ればあと一歩!
この勢いで最終工程まで行こうとクッションフロア貼りに取り掛かかります。
もちろん初めての作業。
床材(構造用合板)に接着剤を適量落とし、クシ目ゴテで拡げます。
クシ目ゴテを使ってみると、実に良くできた道具であると思いました。
ギザギザがあるおかげで、接着剤が均一に塗れてすこぶる作業がしやすい。
いや、コレを考えた人はノーベル職人賞だわ。MAJIDE
クッションフロアを貼る作業は、かなり技術のいる作業でした。
接着剤をはみ出さないようにする。ズレないようにする。壁との接触面は慎重にカット。
どの工程も思うようにはいかず、職人さんの技術はスゲーなと思いました。
ちなみに壁との接触面については、普通であれば3~4mmの誤差は巾木を被せるので問題ないのでしょうが、前述の通り我が家の巾木は外すことができないので誤差が許されません。
最初から最後まで巾木問題には悩まされる結果となりました。
そして接着剤がどうしても手に付着してしまう。
付着した状態だと作業ができなくなるので、バケツに入れたお湯を用意して、作業の合間に何度も手を洗う必要がありました。
それでもかなり手がベトベトで、風呂でも落とすことが困難でした。
この日の作業は5時間。
あとは翌日の乾燥具合を見て作業完了か見極めることとしました。
で、翌日。
うん。いいのではないだろうか。
細かい個所を見れば、素人丸出しな個所もあります。当然職人さんには及びません。
けど良くできた方だと自分を褒めてあげたい。
必要な工具はコチラ。(電動ドリルは不要)
バールのようなものと金槌。
こいつで巾木を剥がしてから体力が尽きるまでフローリングを剥がします。
巾木:壁と床の接合部分にある木の板
早速バールの先端を壁と巾木のわずかな隙間に差し込んでエイっと力をかけると取れました。巾木が。
いや、巾木のかけらが。
今となっては写真が無いのが残念なのですが、初手ですでに予想の斜め上を行く光景が眼前に。
巾木が剥がれない。
剥がれないというか、事前に調べていた巾木とどうやら違う構造。
調べてみると、我が家の巾木は「溝しゃくり巾木」というもので、剥がすことができないようです。
問題はそれだけではなく、床を張り替える場合、巾木を取るために壁も張り替えないといけないらしい。
今なら退ける…今なら退けるぞ…でもやっちゃうか
作業は続行。
ただし巾木を取り除くことは不可能なため、巾木を取り付けた状態でフローリングを張り替えよう。
フローリングは巾木の下にまで食い込んでおり、その部分をどうやって取り除くかはノープラン。
行けばわかるさ。
巾木剥がしは中断となったので、フローリングをバールで剥がしていきます。
最初に取っ掛かりを作るのに苦戦したけど、まあこんな感じ。
フローリングは根太(写真で見えるフローリングを支える木材)に接着剤と釘で固定されていました。
最初は効率良く剥がすことができず苦戦。
開始から3時間。
これだけですんげぇ疲れたし、もう夕方になってしまったのでこの日は終了。
翌日、すでにフローリングを一列剥がしてしまっている状態を見て思ったことは
「もう後に退くことはできない」
とりあえずできそうな個所から作業開始。
けれど巾木を取らないで作業をしているため、どうしても壁面に近いフローリングを剥がすことが難しく、こんな感じになって作業速度が著しく低下。
ここまで剥がすと足場が必要になり、2枚の板で足場を確保。
これは危険な作業方法な気がする。
なんとか2日でフローリングを全て剥がせました。
この日の作業も3時間。
6畳間のフローリング全て剥がすのに、なんと6時間。
巾木が例のヤツのため、壁と床の間にフローリングが残っている個所が多数。
これをなんとかしなけりゃならない。
3日目。
この日は巾木の下に挟まっているフローリングの残骸を取り除きます。
すべてを綺麗に取り除けるとは思えないので、できる範囲ということで。
現在の状況はこんな感じ。
壁直下に残骸が残っています。
このフローリングは、根太(下の木)に接着剤で固定されているため、単に引っ張るだけでは取り除けません。壁や巾木があるので上方向に持ち上げて剥がすこともできません。
そして写真中央に金属が見えます。
壁直下、巾木の上から釘を打ってフローリングを貫き、根太まで刺して固定しているようでした。
この釘が一定間隔で打たれているので、作業はより一層困難でした。
ノミのようなものでコツコツ剥がしたり、電気ドリルで強引に砕いたり。
力仕事ではないけれど、相当疲れました。
この日の作業は2時間。
作業後は翌日必要になる材料を調達しにホームセンターを奔走。
4日目も数時間同じ作業の後、根太を平らにする作業へと進みました。
床下には断熱材が綺麗に敷かれていませんでした。
状況は写真の通り。
断熱材は写真奥に寄せられていたり、中央左にグチャッとなっています。
恐らく家を建てたときにはきちんと敷かれていたのでしょう。
その後、電気工事をした人が断熱材を脇に避けてそのまま作業を終えたのかな。
断熱材があるにもかかわらず、その効果はない状態でした。
そして今回の作業の動機となったフローリングの一部が体重で沈む問題。
問題の個所は断熱材がまとまっていた個所でした。
この個所の空気の流れが滞留して、フローリングの劣化を早めたのかな。
ちなみにフローリングの劣化度合いは、危険な状態ではなかったとわかりました。
フローリングは薄いベニヤ板を繊維が交差するように何層にも重ねられていて、かなりの強度があります。
各層が接着剤で固められているようで、その接着剤が経年劣化して剥がれてきているようでした。
2022年の年末、自宅のフローリングをクッションフロアに張り替えました。
DIYってホームセンターで買った材料で棚を作るとかをイメージすることが多いと思います。
今回はそんな枠から少しはみ出して、大工さん寄りな作業に挑戦。
せっかくなので覚え書きの意味も含めて綴ります。
僕が住んでいる家は4年前に中古で購入しました。
平成5年築なので築29年になります。
前のオーナーがまめにリフォームしていたらしく、築年数のわりにとてもいい状態で購入することができました。
1階のフローリングは過去に張り替えたようでほぼ新品なのですが、2階は張り替えていないようでした。詳細は分かりません。あくまで想像です。
そのため、約30年経過した2階のフローリングは、踏むと若干沈む場所がありました。
床が抜けるなんてことはないでしょうが、なんとなく気になっていました。
フローリングの張り替えをすると一体いくら必要なのか、調べると10~15万円ぐらいでした。
費用を調べながら「それなら自分でやった方が良くね?」って結論に至りました。
もちろん経験はありません。普段からDIYを積極的にやる人間でもありません。
この時思ったことはこんなこと。
やると決めても、どうやって手をつけたらいいのかわかりません。
家の構造も知りません。
作業は時間がかかるだろうし、取り返しのつかないことをやってしまうかもしれません。
とりあえず片っ端から調べました。一般的な床の構造はどうなっているのか、フローリングはどうやって剥がすのか、どんな工具が必要なのか。
そこで気が付いたのですが、どうやら新しいフローリングを張るよりも、クッションフロアにした方が材料費が安くなり、作業も簡単そうに思えました。
張り替え予定の部屋は洗濯物を干したり大量の漫画を保管しているだけの部屋なので、フローリングにこだわる必要はありません。
そして作業はこんな感じで進めればいいかなというイメージがつきました。
① 巾木を剥がす(根性で)
巾木:壁と床の接合部分にある木の板
② フローリングを剥がす(根性で)
③ 根太を平らに整える
根太:フローリングを支える木
④ 合板を張る
⑤ クッションフロアを貼る
所要日数がどれぐらいかわからないから、年末にやってみることにしました。
結論から先に。
海外の固有名詞の呼称は一度考え直した方がいい。(特に中国)
今回は海外の地名や人名の読み方についての疑問について綴りたい。
僕は次に挙げる2つの出来事を経験してから大いに疑問を持っている。
タイの孤島で隣の部屋になったジローラモとそっくりなイタリア人と話をしたときのこと。
僕「イタリアにはどうやって帰るんですか?」
ジローラモ「ヴィエンで乗り換えて帰るよ」
ヴィエンとは如何に。
ヴィエンがどこだか知らない僕に「おいおい、ヴィエンも知らないのかよ」的な冷めた空気が流れた気がしたのは、決して僕がネガティブなだけではないと思う。
さてこの「ヴィエン」、帰国後に調べるとオーストリアの首都であるウィーンを指す言葉だと知った。
嗚呼、あの少年合唱団とかオーケストラとかすごい的な場所か。(ザックリした知識)
オーストリアの公用語はドイツ語。ウイーンをドイツ語で書くと「Wien」。読みを近いカタカタで書くと「ヴィエン」らしい。
ちなみに英語では「Vienna(ヴィエナ)」。
おいおい、日本人が知っているウィーンのかけらもないじゃないか。
これもタイでの出来事。
バスで同乗した中国在住のオランダ人女性(若干タイプ)と話したときのこと。
僕「中国ですか。先日、香港からShenzhenに行きましたよ」
Shenzhenとは、深圳(日本読み:シンセン)のことである。
この時は数ヶ月前に深圳に行ったばかりだったため、たまたま英語のスペルを憶えていた。なので日本語読みの「シンセン」と言わず、英語読みで対応できた。
とは言え、スペルをそのまま読んだので「シェンジェン」と発音したと記憶している。「シェンチェン」が近い発音のようだ。
この時はなんとなく通じたみたいだし、それ以前に僕の英語力が不足しているからコミュニケーション全体としては「ジェン」だろうが「チェン」だろうが彼女からすれば誤差の範疇か。
さらに若干政治の話になって毛沢東をマオツートンと言えた自分を大いに褒めてあげたい。
これら2つの出来事は、僕にとって海外の固有名詞の呼称を考えるいい機会となった。
現地読み、日本読み、英語読み、色々ありすぎて何が正しいのかすらわからない。けど日本読みは世界で通用しないケースが多いようだ。
日本独自の読みしか知らないのであれば、確実に国際的とは言えないであろう。
まず会話についていけない。
最近の例で言えば、外務省がウクライナの首都の読みをキエフ(ロシア語読み)からキーウ(ウクライナ語読み)に変更した。
外務省Web 「ウクライナの首都等の呼称の変更」より
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press1_000813.html
これは現地読みを優先した良い例だと思う。
近隣諸国、とりわけ漢字が使用される2つの国の例を挙げたい。
中国の地名・人名の呼称は相互主義ってのが優先されているらしい。
僕の理解が間違っていなければ「同じ漢字文化圏なので、互いの国の読み方で自由に読もう」って感じだと思う。
相互主義、いらなくね?
互いを尊重しすぎてわけわからんことになっている。
韓国とは1984年から「現地読み」ってことになっている。それ以前は中国と同じ相互主義が採用されていたっぽい。
2022年時点の韓国の大統領は「尹錫悦」と書いて「ユン・ソギョル」。
もう漢字表記はやめてカタカナ表記にして欲しい。読めない。
韓国では漢字の廃止によって多くの人がハングルしか読めなくなっている現状を考えても、漢字表記には無理があると思う。
いやもうさ、全世界で読み方は統一して欲しい。混乱するから。
僕にとって海外の人と会話をする機会はそうそうないけど、「ヴィエンも知らないのかよ」なんて思われたくないし、日本人の教育の程度が低くみられるから。
と、ここまで書いてなんだけど、「日本」は現地読みが「ニホン」だったり「ニッポン」だったり、統一されてなかったことを思い出したわ。
了
「I miss you」ってフレーズは、英語が得意でなくとも多くの人が「寂しい」とか「会いたい」とかの意であることを知っていると思う。
今回はこのフレーズが巻き起こした出来事と相互文化を理解することの重要性について綴りたい。
インドのコルカタで出会ったジミ(仮名)との話。
ジミは日本で働いていたことがあるらしく、他にも色々な共通点があって意気投合。
LINEを使っているとのことで、早速交換した時の画面がコチラ。
彼とのコミュニケーションは英語だが、彼は簡単な日本語ならできる。
しかしあまり日本語で話したくないらしい。
実際、僕が会話中の英語に詰まると日本語で言い直してくれたことがある。日本語はそこそこのレベルで話せると推測。
本当に日本に住んだことがあるのだろうか、僕は騙されているんじゃないだろうか、と最初は疑ってかかったけど、僕の住んでいる街のローカルな話や見せてくれた日本での写真から判断するに、ジミは嘘をついていないことがわかった。
インドってこうやって人を疑うところから始まって、疑ったことに自己嫌悪するお決まりのパターンで毎度疲れる。それだけ嘘つきが多いんですが。
共通点と言えば、生まれた年が同じだったり、ネット上での名前が「ぴーす」だったり、スキンヘッドだったり。まあ色々。
そんな彼とは2日間一緒に遊んで、コルカタのローカルな酒場だったりお姉ちゃんが踊っている店に行ったり、あんな物を吸ったり飲んだりして過ごした。
彼とのエピソードはこちら
アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【12日目②】ついにゴールのコルカタへ
旅行
そして最後の夜、彼と別れて宿で一人あんな物を吸ってグルグルになっている時に一通のLINEが来た。
それがコレ。
僕の英語がイマイチなのは勘弁して欲しい。大事なのは気持ちだから。
Brother r u free now?(時間ある?)
いや、さっき別れたばかりじゃないか。
i miss you.(会いたいよ)
うーん。。。
正直に話すと、このメッセージをもらった時にこう思った。
ジミはホモなのか?僕の菊門を狙ってるんじゃないのか?
どんな返信がベストなのかわからず、そして紫煙で頭がグルングルン回っていたので素面になってから返信しようと、翌日空港に着いてから何気無い返信をしておいた。
このジミが使った「i miss you」というフレーズ、すごく気になって帰国後に色々調べてみた。
僕を含めた多くの日本人は異性に対して使うフレーズと思っているけど、同性に対して使っても何ら不自然ではないらしい。
例えば友人と数年会えなくなる場合、見送りに行った空港で「しばらく会えなくなるのは寂しいな」なんて状況で使えるらしい。
ここで2つ重要なことがある。
この2つを理解していることが前提で、初めてi miss youを用いた異文化コミュニケーションが齟齬なくできることになる。
どちらが欠けても僕のように誤解が生じてしまう。
ちなみにインドでは男性同士が手を繋いで歩いている光景をよく見るので、重要事項の後者は満たしていると推測する。
どんだけ仲良しだよ。
なので今回の場合も決して僕の菊門を狙っているわけではなく、自然な会話だった可能性が高いのだ。
ここまで理解しても、やはり僕には男性が男性に対してi miss youを使用するのには抵抗がある。
これは普段同性に対して「寂しくなるな」などのフレーズを使わないからだろう。
数ヶ月後、再度インドへ行くことになった。
その際、珍しく僕からジミにLINEを送った。
それがコレ。
If possible come KOLKATA for 2 days. Let’s enjoy. Then take a flight for Goa.
(コルカタに2日間滞在して遊ぼうよ。その後ゴアに行けばいいよ)
You can stay in my house. Welcome bro.
(俺の家に泊まりなよ。歓迎するよ)
ぐいぐい来る。
インド人のこの距離感、苦手。
ジミごめん。コルカタには今回行かないんだ。
そしてやっぱりi miss youの記憶が片隅にチラチラして菊門の危機を感じる。
先に書いた「インド人の距離感」。
毎回思うに物凄い距離感が近い(心理的にも物理的にも)。パーソナルスペースとか一切無視。
過去にミャンマーからインドへ国境を超えた際、乗合タクシーで同乗したインド人に「お前は幸せか?」っていきなり聞かれたぐらいパーソナルスペースが皆無。
こう感じるのは僕が人と接するときに必要以上に距離をおくタイプの人間だからなだけではないと思う。
ある日深夜に目が覚めるとジミからLINEが来ていた。
時間は午前3時頃。
インドとの時差は3時間半なので、ジミの時間は0時前ってことになる。
BRO I miss you. When you come KOLKATA? Stay my house.
(寂しいよ。いつコルカタに来てくれるんだい?俺の家に泊まりなよ)
i miss youの用法はバッチリマスターしているけど、それでも貞操の危機を感じるのは僕が歪んでいるのだろうか。
Now you can call me. Brother call me.
(電話してくれよ。お願いだから電話をくれよ!)
流石に少し怖くなった。
嫁さんが隣で寝ているからできないと言うとこうである。
Little slowly talk.
(囁き声で電話しようぜ)
恋人かよ。
インド人、悪気なくグイグイ来るんだよなー。
そしてダメ出しの一言。
Tomorrow you call me.
(明日は電話くれよな)
書き始めた時には、i miss youの用法と相手の文化を尊重しなければ異文化コミュニケーションは成立しない的なことを書きたかったんだけど、結果的にジミに菊門を狙われているんじゃないかって不安を書く羽目になってしまった。
ジミには色々感謝しているところもあり、また旅先でこれほどまでに気が合う友人ができたことに喜びも感じている。
ジミの真意がどうであれ、旅の出会いは財産である。
ジミとはその後もLINEのやり取りをしている。
僕は筆不精なので一方的にジミからLINEが来るのだが。
そしてジミ。勝手にLINEをWebに上げてゴメン。
了
(1)大きいバッグ,(2)薄手のフリース,(3)着替え,(4)歯磨きセット,(5)衛生用品,(6)薬,(7)小物入れ,(8)コンセントの変換アダプタ,(9)延長コード,(10)PCアダプタ,(11)トイレットペーパー,(12)タバコ*
*は写真がありません
移動時に使うメインのバッグ。
過去の旅では、バンコクで買った大きい安物ザックを使用。安物ゆえに若干壊れていたので、2019年は登山用ザックを流用。
持っているサイズは65Lと32L。どっちにするか迷ったけど、65Lはバカデカいのでやめた。
結果として、32Lはちょうどいいサイズだったと思う。
バスの荷台に雑に積まれて金具が壊れたり泥だらけになるから、やっぱり安物の方が気兼なく使えていいかな。
南国でもエアコンで凍えるほど寒いことがあるから必須。
春秋は自宅と空港の往復でも活躍。
カメラとか壊れやすい物をザックに入れて移動するときには、緩衝材代わりに使える優れもの。
実際には着ている服もあるので、これらにプラス1枚ってことになる。
長期旅行でもこんなもんで十分。
Tシャツは綿素材より速乾性のシャツの方が軽くてコンパクトだし早く乾くから良いかも。
靴下は数日同じので問題ないっしょの精神。
3日間ぐらい同じTシャツだった時もあったかも。
必須よね。
使う機会はほとんどないけど、万が一を考えると不要とは言えない。
病んでいるので。
約1ヶ月分の薬はかさばって、荷物の1/4ぐらいを占めた。
仕方ないか。
登山道具から流用。
ロープは一度だけ室内で洗濯物を干すのに使ったぐらい。基本的には洗濯物は少ないので、椅子にかけたりベッドにバスタオルを敷いてその上に置いたりで十分。
爪切りは長期旅行では必須。
切れ味はメイドインジャパンがナンバーワン。
ナイフは飛行機の持ち込み荷物にできないので、持って行かない方がベターかも。
写真は過去に使っていた物。
2019年の旅で使用したお気に入りのアダプタを撮影しようと探したら、紛失していることに気が付いて軽くショック。
普段から使っている100Vの差し口2つとUSBの差し口が3つ付いているやつ。
荷物がかさばるのがたまに傷。
撮影時に規格をよく見ると、海外の電圧に対応していないことに今更気づいて顔面蒼白。
関係ないけど海外ってコンセント挿す時にバチッて火花が出る頻度が高い気がする。怖い。
ノートPC用。
メイドインジャパンの品質が一番よ。
海外のトイレットペーパーは紙が厚くて巻き数が少ないのですぐに無くなる。
宿の人に都度言えば貰えるけど、「コイツはうんこしに俺の国に来てるのか?」って思われたくないから持参したペーパーをたまに使用。尻肌に優しいたまの贅沢。
多い日も安心。
1日1箱で20日生き延びれる計算。
けど2019年の旅は3回ともそれ以上の日数。
消費を抑えるために、出歩いている時は現地で買った紙巻きタバコ、宿では電子タバコの生活。
電子タバコに慣れると紙巻きは不味くて毎回「マッズ!」って思いながら吸っていた。
ちなみに幾つかの国では電子タバコは違法。タバコも入国時に1カートンまで。
僕は特別な訓練を受けているので問題なかったけど、良い子は絶対に真似しちゃいけない。
(1)小さいバッグ,(2)パスポート,(3)国際免許証,(4)現金,(5)パスポートのコピー,(6)証明写真,(7)simカード,(8)Eチケット*,(9)封筒,(10)小さいジップロック,(11)ノートPC,(12)カメラ,(13)モバイルバッテリ,(14)タオル,(15)トイレットペーパー、ポケットティッシュ,(16)ガイドブック
*は写真がありません
会社員時代に通勤で使っていたバッグ。
街をブラブラ歩くときにはやや大きく感じるけど、街ブラ用にもう一つバッグを持つと荷物が増えるのでこれで兼用。
ノートPCが入るし防水だから悪くない。
メッセンジャーバッグって言うの?
肩にかけて背面に回すので邪魔にならない。
説明不要の必須アイテム。海外で使える唯一の身分証明書。
バッグを持たずに出歩く時には不用心にも宿に置きっぱなし。
バイクをレンタルした時用に取得。
今までバイクをレンタルして「国際免許証を見せろ」なんて一度も言われたことが無かったので不要かと思ったけど念の為。
インドで検問に捕まった時に提示したら「俺には日本語は読めないから無効」なんて言われた。英語も併記してあるのに。
普段の旅では持たない。
今時はどこにでもクレジットカードで現金を引き出せるATMがあるので米ドルを持つメリットってほぼないと思っている。
2019年の旅では情報がほとんどない場所にも行ったので、とんでもない田舎だったらヤバいと思って10万円分ぐらい準備。
結果としてATMはあっても現金不足で閉まってることが多く、持って行って良かった。(けど10万円分はいらない)
これも宿に置きっぱなしが多かった気がする。幸いにも盗まれてはいない。
部屋にセーフティボックスがある宿もあったけど、あれって開かなくなった時のことを考えると不安になるから使わない。
ノーガード戦法。
ほぼ使わないけど毎回持っているアイテム。
陸路国境周辺は外国人用のチェックポストがあるので、そこで提出を求められる可能性を考えて持参。
実際にはチェックポストで求められたことは一度もなかったけど、ゴアでバイクを借りた時に1枚使用。
パスポートを紛失する事態になれば役に立つかもしれない。
これも前述のパスポートのコピーと同様の目的で持参。
タイのAISが発売しているSIM2Flyというsim。(写真はSIM2Flyが無かったのでインドのairtelのsim)
Amazonで現地と同じぐらいの値段で売っていたので事前に購入。
Globalバージョンはタイ国外での使用も可能。(サポート対象国に限る)
使用期限を超えてもタイ国内であれば課金して使用が可能。
でもミャンマー、インド、バングラデシュでは自分の設定が悪かったのかほぼ使えなかった。
理屈では電子チケットなのでプリントアウトしたものを持つ必要はないと思うんだけど、毎回空港のカウンターで見せなきゃいけないのは何故なんだろう。
試しにパスポートだけでチェックインできるか試したら、チェックインできたりできなかったり。航空会社によって違うみたい。
やっぱり持って行くべき物。
数種類ある紙幣を分類する用。
基本的には国境を越えたら前の国の紙幣は全部両替して持たないようにしている。できなかった場合に、もう使わないであろう紙幣を保管する用。
コインは両替できないので、国境を越える前には水や小物を買ってできるだけコインを残さないようにしている。
それでも残ったコインはこの中へ。そして帰国後に姪っ子にお土産としてあげている。
日本の空港にある銀行窓口から拝借。
メールチェックやYouTube、まとめサイトを見たり、旅の情報収集に使ったり。
スマホで事足りる人には重いので不要。
外出時は完全に宿に放置。不用心よね。
持ち歩くのが面倒で結局スマホで写真を撮っていた。
旅の3日目ぐらいから文鎮と化して宿に放置。
バスでの長距離移動とかヤバいのは20時間とかあるから、持っていた方がいい。
汗拭き用。
暑い地域では汗でビチャビチャになるので、ハンドタオルより首に掛けられる普通のタオルの方が好き。
ダサいのは十分承知。
尻拭き用。
紙がないトイレが多いから持っていた方がいい。
写真は新品だけど、携帯性を考えて半分以上使って細くなったロールを潰したものを持参。そして可能なら芯は抜いている。
ちなみにシングル派。
ポケットティッシュは水に流せるタイプ。
こんなのあるんだね。嫁さんが見つけてくれた。
ほとんど読まない。
けど無いとそれはそれで不安。
どこでもスマホでネットができるとは限らないし。