旅とか雑記とかを冗長に

アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【6日目】インパール街ブラ、インパール作戦に想う


ーーーこの日のミッションーーー

  • インパール作戦で亡くなった日本兵を弔う

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朝起きても前日の疲れは残っている。

朝食付きだったので、意地汚なく朝食ビュッフェでフィーバー。


部屋に戻る時に窓から見えた街の光景は灰色が多い。


この日は移動の予定が無い。(もう移動は嫌!)

その代わり、第二次世界大戦中に日本から遥か離れたこの地で亡くなった多くの日本兵に手を合わせようと思っていた。

この街を訪れた理由は、たまたまアジアハイウェイ1号線の通過都市だったからに過ぎなかったけど、そんな僕もインパールと聞けば「インパール作戦」と言う言葉を連想する。

せっかく訪れるインパール。少しは勉強しておこうと予習はしている。

ーーーインパール作戦ーーー

第二次世界大戦中、日本軍がビルマ(今のミャンマー)からインドのインパールへ進軍して、中国への補給ルートを壊滅させる作戦。

日本軍は物資の輸送を水牛に頼り、その水牛を食糧にする計画だったけど、河を渡る際に多くの水牛は流されてしまう。

日本アルプス並みの山々を越えなくてはならず、多くの日本兵が病気や体力消耗状態で戦い、2万人以上が死亡、3万人以上が病気。

大失敗作戦の代名詞。

違ってたらごめんなさい。

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インパールには日本兵の慰霊碑があるらしい。

宿を出てタクシーを探そうとしたけど、この街のタクシーは単なる乗用車。ひと目見てタクシーと判別できず、どれを止めればいいのかわからない。

宿のフロントへ戻って相談したら、タクシーを呼んでくれることに。

しばらく待ってやって来たのはデカイ四駆。

タクシーは街を抜けて30分ぐらい走り、慰霊碑と資料館のある場所で停車。


資料館の内部は撮影禁止。スマホは預けることになっていたので写真は無し。

展示されていた地図にあった進軍ルートは、前日にイニシャルDをした峠付近。

そして日本の総理大臣が筆で書いた大きな文字(確か「平和」だったと思う)がある。

資料館を出て少し歩くと慰霊碑がある。

戦時中、こんなに遠くまで来て戦死した多くの日本人はどんなに辛くて悔しかっただろうか。

合掌


資料館と慰霊碑の場所はココ。

タクシーで街に戻って、イママーケットで降ろしてもらう。

ここは女性だけが働いている市場。

思ったより大きい。

東南アジアのような活気ある市場と言うよりは、女性達が静かな感じで物を売っている。

撮った写真をおばちゃんに見せると喜んでくれた。


こっちもおばちゃん。


海の無い土地だから川魚かな。


インドだから唐辛子もある。


市場の周りはこんな感じ。


イママーケットの場所はココ。

飽きたので、宿に戻りつつ街ブラ。

屋台がいくつか集まっている場所を見つけたので昼飯。

インドは同じ物を売る店が集まる習性があるのか、飯屋はどれも同じメニュー。

食べたのは油っぽい卵入りのかき揚げと油っぽい焼きそば。


宿に戻る途中、カッコイイ軍人さんがいたので「写真撮らせてください」って言ったらNG。残念。

宿の前にある軽食屋でラッシーを注文。

美味しかったので、もちろんお代わり。


店の場所はこの辺。

宿に戻り、wikipediaでインパール作戦を復習。

なぜかアンサイクロペディアのインパール作戦関連にたどり着き、不謹慎ながら小さく笑ってしまう。

気が付いたら夜。

外に出て飯を食べるのも面倒臭い。

部屋にあった紅茶を夕食としてこの日は終了。

飲んだのはもちろんアッサムティー。(アッサムはインパールから近い)


アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【5日目②】ついにインパール到着


ようやくシェアタクシーに乗り込んだけど、運転手はなかなか発車してくれない。

挙げ句の果て、どこかに電話してから他の車を指差して「俺は行けなくなった。彼の車に乗れ」と言われる。

仕方なくその車に乗り込むと、インド人の乗客が2人追加されてから発車。

街を抜けるまでにパスポートチェックが3回。

3回目は外国人だけでなく、乗っている人全員と車の荷物を隅々までチェックする厳重な検問。

大渋滞が起きていて、なかなか進まない。

インド人客「※~○△□※ギュー※~○△□※ポリス」

僕「???」

インド人客「※~○△□※ギュー※~○△□※ポリス」

また同じことを言う。

彼は「ギューを※~○△□するために、お前は歩いて行け」と言っているようだった。

肝心の「ギュー」が何なのかわからないまま、トボトボと先に歩いて行くと、彼も一緒に着いて来る。

彼が話す英語がまったくわからなかった。

ちなみに僕の英語力はTOEIC 520点。

簡単な会話はできるけど、長文や早口は理解に苦しむレベル。

これは僕をこの旅の最後まで苦しめことになったんだけど、インド人の英語はこんな印象。

  • 話が長文
  • 聞き慣れたアクセントでなはい
  • 単語と単語の間にあるスペースがどこにあるかわからない
  • 何度聞き直しても、決して他の単語に置き換えてくれる優しさは無い

これはあくまで僕の英語力が低いのが原因。インド人の英語が悪いわけではない。

英語力の高い人は十分理解できると思う。


そうこうしているうちに小屋が見えてきて、パスポートチェックを受けることになる。

でも外国人をチェックする小屋には誰もいない。

インド人の彼が担当者を探して来てようやくチェックを受けることができる。

壁に貼られた紙を何となく見ると

「※~○△□※ Q line ※~○△□※」

と書いてある。

これか!彼の言っていた「ギュー」って「Q line」のことか!

たぶんこの状況だと待っている車の行列のこと?(たぶん)

パスポートチェックを受けて小屋を出ると、きれいな景色が広がっている。


そうこうしているうちに、さっき乗っていた車が行列を追い越してやって来る。

どうやら

  • 彼の父親は警察の偉い人だから顔がきく
  • その権力を乱用して行列をショートカットする

と言うことだったらしい。

前日から24時間以上まともに休めていない僕は、この時ばかりは「特権階級最高!」と思った。

車中、さっきの彼に「お前はハッピーか?」と唐突に聞かれる。

初対面の人間にそんな質問をするインド人の国民性にビックリ。

でもよく考えれば、妻にも両親兄弟にも数少ないけど友人にも満足している。

僕の答えは当然「ハッピーだ!」。

その後、タクシーはイニシャルDさながらのテクニックで峠道をひた走る。

すごい良い景色なんだけど、運転が怖すぎてそれどころじゃない。

ブラインドカーブで追い越すのは当然。

タイヤがロックするほどの強い急ブレーキも連発。

日が暮れる頃にようやく峠道を抜けてからも、対向車とのチキンレースは何回も続く。

モーレを出てから4時間後、真っ暗な中ようやくインパールの街へ到着。

宿はスマホで予約済み。

ミャンマーからの長距離バスに疲れていた僕は、少しグレードの高い宿を予約。

1泊2800ルピー(4000円ちょっと)。

僕は貴族の生活をするぞー!!

タクシーに宿の前で止まってもらうと、宿には立派なゲート。

宿の場所はココ。Classic Grande。

チェックインの時に宿泊費を払おうとしたら「チェックアウト時にまとめて払って」と言われる。

高い宿って館内のレストランで食べた料金とかを合算して、チェックアウト時に払うみたい。初めて知った。

宿に荷物を置いてから、晩飯を食べようと宿周辺をウロウロしたけど、飯屋は見つからない。

少々高いことを覚悟して宿のレストランで食べることに。

写真はバイキングの収穫。(バイキングなのでこの後2ターンした)


ナンみたいなやつ。

美味かった。

後から知ったんだけど、バイキングとは別料金だった。


ソルティラッシー。

塩味より甘いやつの方が好きだな。

これも別料金。


腹も満たされ部屋に戻ると、清潔なベッドときちんとお湯の出るシャワー。

貴族だぜー!

ヤンゴンからのバスに乗ってここまでで29時間ほぼ休みなし。

疲労困憊、満身創痍。もう帰りたい。

やっと休むことができ Z z z z ....


ーーーお役立ち情報ーーー

  • タムーから国境まではトゥクトゥクで3000チャット(値下げ交渉はしていない)
  • ミャンマーを出国したら橋を渡って左へ行くと、インド側のイミグレがある
  • イミグレからモーレ(インド側の国境の街)の中心部までシャトルバスがある(ダイヤは存在しない)
  • インパール行きのバスは7時台と13時台。この時点で15時を過ぎるので、シェアタクシーしか選択肢は無い
  • インパール行きのシェアタクシーの相場は1500ルピー/1台っぽい
  • モーレからインパールまではシェアタクシーで4時間。悪路の峠越え
  • 途中、大渋滞のパスポートチェックあり
  • ヤンゴンからインパールまでは合計30時間
    ヤンゴン>カミョーレ(19時間)
    カレーミョ>タムー(5時間)
    タムー>イミグレの手続き(1時間半)
    モーレでドライバーと喧嘩したり両替する(30分)
    モーレ>インパール(4時間)
  • 気力、体力、命を削りたくない人には絶対勧めない

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アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【5日目①】ミャンマーからインドへ陸路国境越え(タムー、モーレ)


ーーーこの日のミッションーーー

  • ミャンマーを出国してインドに入国する
  • インドルピーへ両替する
  • モーレ(インド側の国境の街)からインパールへ行く

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6時にバスは小さな食堂で停車。

お手拭きと歯ブラシを渡され、乗客は歯を磨いたり朝食をとったり。


僕は道路に出てこれから行く道を眺めた。

東京から始まりアジアを横断するアジアハイウェイ1号線がそこにある。

あと3時間で国境に着く!(着かないんだけど)


バスはひたすら田舎の悪路を走行。

いい加減飽きたところでカレーミョのバスターミナル。

多くの乗客(って言っても多くないんだけど)が降りていく。

CAさんはバスの後方に山積みになっている荷物を下ろしている。

チャンスとばかりにバスターミナルのトイレへ。

バスに戻ると、CAさんが僕の席に置いていた荷物を見ながら困っている。

状況から察するに、このバスはここが終点らしい。

CAさんは僕が荷物を忘れて降りたんだと思ってたみたい。

え?国境まで行かないの?

仕方なくバスを出ると男性が話しかけてきた。

男性「お前はどこに行くんだ?」

僕「国境の街、タムーだけど」

男性「オッケー、ついて来い」

状況がわからずついて行くと、そこにはバンが止まっている。

どうやら、僕が買ったチケットはここでバンに乗り換えるみたい。

9時にタムーに着くと聞いていたはずだけど、すでに現在9時。

タムーへは何時に着くのだろうか。


それから5時間、僕はエアコンの効かない狭い座席に小さくなりながらひたすら耐えていた。

やっとタムーに着いたのは14時。もうヘトヘト。

ーーーお役立ち情報ーーー

  • タムー行きのバスは3列席のVIPバス。トイレは無い
  • 車内はクソ寒いので長袖必須(毛布はある)
  • バスはヤンゴンを14時発、カレーミョに翌9時着
  • トイレ休憩は初日の晩飯と翌日の朝食時のみ。後は途中で停車した時にすかさず立ちションするしかない。女性は厳しいと思う
  • カレーミョ到着後、ミニバスに乗り換えてタムー(ミャンマー側の国境の街)に14時着

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バンを降りて適当に歩く。

途中、一緒のバンにいたおばさんに声を掛けられた。

おばさんは中国人で、カレーミョに1泊して翌日インド入りするらしい。

そうこうしている内にトゥクトゥクの溜まり場を見つけ、国境まで連れて行ってもらうことにした。


トゥクトゥクは10分ぐらい走って、国境のイミグレ前で僕を降ろしてくれた。

奥に小さく見えている黄色い橋が国境。


イミグレでなぜか「20ドルくずれないか?」と聞かれた。

米ドルの小額紙幣が大量にあったので、助かったと思い1ドル札を20枚渡したんだけど、1枚ボロボロの札が混ざっていて突き返されてしまう。

でももう1ドル札は持っていない。

結局、両替は無かったことに。

このボロボロの1ドル札は最後まで僕と一緒に旅をすることになる。

出国手続きが終わり、ついにミャンマーとインドの国境の橋。


橋を渡ると、この看板がある。

左がインド側のイミグレ、右がモーレ(インド側の街)。


イミグレに行くために左に曲がる。

長い坂道が続く。

炎天下の中、地味に疲れる。


ようやく建物が見えてきた。

それにしても、この上りはしんどい。


ようやくイミグレに着いた。


だだっ広いイミグレには、旅行者が3人だけいた。

入国手続きは難なく終了。

3カ国目、入国だぜ!

ちなみにインドは23年ぶり。

まだ学生の頃に初めて行った海外旅行がインド。

ようやくホッとすると、喉が渇いていることに気が付いた。

建物内には小さな売店が一つある。

けど今の僕にはお金が無い。

ここはすでにインド。まだインドルピーに両替していない。

見渡しても建物内に両替所は見つからない。

僕は売店の男性にミャンマーチャットで水を売って欲しいことを伝えるけど、インドルピーしかダメだと言われた。

僕「もう限界!そこをなんとか!お願い!お願い!お願い!」

なんとか水をゲット。

イミグレの柱にはこんな紙が貼ってあった。

イミグレからモーレの街まではシャトルバスが出ているらしい。


少し待つとシャトルバス(ただのバン)が来てくれるようなので、それに乗ることにする。

バンに乗ったのは僕以外に欧米系の女性が二人。

彼女達もインパールへ行くようだった。

女性「インパールに行きたいんだけど、バス停で降ろしてくれる?」

運転手「バスは無いよ。シェアタクシーの乗り場まで連れて行くから」

女性「いや、バスがあることは知っている。ウソを言わないでくれる?」

女性はかなり喧嘩腰で、運転手の言うことをまったく信じていなかった。

たぶん運転手がシェアタクシーと結託していると考えたんだと思う。

僕は事前情報でバスは7時台と13時台の2本しか無いことを知っている。

僕「バスはもう無いッスよ。最終バスはもう出たと思う」

運転手「お前知ってんじゃん。そう、バスはもう無いよ」

ようやく彼女達は納得して、皆でシェアタクシー乗り場に向かうことになる。

15分ぐらいでタムーの街の中心?に着いた。

シェアタクシー(ただの軽バン)が何台も停まっている。

着いた場所はココ。

僕達3人の外国人は一瞬で囲まれる。

欧米系の女性2人はすかさず値段交渉。

僕に一緒に乗るように誘ってくれた。

けど僕は両替をしてインドルピーを入手しなければならなかったので、お誘いはお断り。

僕は他の運転手に「インパールに行く前に両替がしたい」と相談した。

そして運転手に連れられて、街の両替屋に連れて行かれる。


両替屋で、まず手持ちのミャンマーチャットをインドルピーに替えてもらった。

そして300ドルをインドルピーに替えてもらおうとした。

けど僕の持っている札を見て皆が躊躇している。

なぜなのかはわからなかったんだけど、僕の持っている100ドル札は両替できないらしい。

次に運転手が僕を連れて行った場所はミャンマー側の両替屋。

そう。僕はインドに入国したにもかかわらず、ミャンマーに戻ることになった。

しかも現地人用のゲートで。

運転手は現地人用のゲートの国境警備隊(?)に事情を告げて、僕をミャンマー側に入れるようにしてくれた。(ゆるい!)

両替が終わると、再びインド側に入れるように話をしてくれて、元に戻ることができた。

パスポートの提示もスタンプも何も無し。

ちょっと貴重な体験。

無事両替はできたけど、小額紙幣が多くて分厚い札束になってしまった。

軽く2cmの厚みがある。

高額紙幣も使いにくいけど、これだけの札束も迷惑。

これでこの街でやることは終了。

いい加減疲れたし、早くインパールへ行きたい。

アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【4日目】長距離バスでヤンゴンからタムーへ


ーーーこの日のミッションーーー

  • タムー行きのバスに乗る

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朝起きて宿の朝食を食べ、部屋に戻ってダラダラ。

11時頃になってチェックアウト。

適当にタクシーを捕まえて、アウンミンガラーのバスターミナルを目指す。

車内にはなぜかミスチルが流れている。

たぶん日本から輸入した中古車で、カーオーディオのデータがそのまま残ってるんだと思う。

ヤンゴン到着時には気づかなかったんだけど、このバスターミナルはめっちゃ広い。

とても歩きでは目的のオフィスは探せそうにない。

タクシーの運ちゃん「どこのバス会社?」

僕「シューマンダレーです(本当はシューマンダラー)」

運ちゃんは広大なバスターミナルの中からシューマンダレー(しつこいようだけど本当はシューマンダラー)のオフィスを探してくれる。

そう、あった。シューマンダレーのオフィスが。

僕は何の疑いもなくそのオフィスに入ってチケットを見せた。

シューマンダレーの人「ここじゃないよ」

僕「え?でもこのチケット見てよ。シューマンダレーでしょ?」

シューマンダレーの人「お前のチケットはシューマンダラーだろ」

僕「???」

ミスに気が付いた僕は顔面蒼白。

急いでスマホでシューマンダラーを探すと、奇跡的に地図に登録されている。

時刻は宿のおばちゃんに言われていた12時ちょい前(出発は14時)。

このターミナルはとんでもなく広くて、12時までに辿り着ける自信は1ミリも無い。

正しいであろうオフィスの場所を早足で目指す。

すると車に乗っている男性に話しかけられる。

男性「どこに行こうとしてるんだ?」

僕「シューマンダラーのオフィスに行きたいんだけど遠くて」

男性「場所はわかる。5000チャットで行ってやる」

当然、僕は車に乗った。

そして車はさっき行った間違っているバス会社のオフィスの前で停まる。

もうとっくに12時は過ぎている。

腹を決めて歩くことにして、バス会社のオフィスへ向かう。

内心、スマホが示す場所が正確なのか疑いながら。

歩くこと20分、ようやくスマホが示す場所に到着。

建物に入り受付のお姉さんにチケットを見せると、奥のベンチで待つように促される。

どうやら目的の場所に着いたみたい。

この写真がシューマンダラーのオフィス。ミャンマー語で読めない。


シューマンダラーのオフィスの場所はココ。

ーーーお役立ち情報ーーー

  • アウンミンガラーのバスターミナルは広いので、タクシーでバス会社のオフィス前まで行く方がベター
  • タムー行きのバスは「シューマンダラー」から出ている。「シューマンダレー」ではない

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14時の出発までまだ時間がある。

トイレに入ると天井から水が滝のように落ちて来るイベントがあったり、物売りの籠をボケーっと眺めたりしながらバスの出発を待つ。

時間になり、バスに乗車するように言われる。

予定では翌日の午前中にインドとの国境。

それにしても19時間のバスの旅なんて、恐怖しか感じることができない。

バスに入ると3列のVIPバスだった。トイレは無い。

僕は2+1の1の列。ラッキー!


出発早々、軽食が配られる。


運転手1名、CAさん3名体制。

CAさんは交代で仮眠。

運転手は大丈夫か?


夜になってドライブインで休憩。


晩飯はこの日もおかず飯。

カレーみたいなやつ、超ウメー!


そしてバスに乗り込み、この日は車中泊。

このバスは貨物運送も兼ねているため、何度か荷下ろしがあった。

バスが停車した隙をみて、ダッシュで立ちション。

マンダレーを過ぎたあたりからカーブやアップダウンの激しい悪路。

ミャワディからヤンゴンまでも酷い悪路だったことを思うと、ミャンマーはインフラがかなり遅れているのかもしれない。

アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【3日目】ヤンゴン街ブラ、物乞い少女とミャンマー料理


ーーーこの日のミッションーーー

  • マンダレー行きのバスのチケットを買う

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朝8時頃に目が覚めた。

朝食付きだったので食堂に行くと、トーストと目玉焼きを持ってきてくれた。

コーヒーはクソ不味い。


部屋に戻り「どうしようかなー」なんて考えながら地球の歩き方を開き、シュエダゴンパゴダに行くことにする。

宿のおばさんに行き方を聞くと、タクシーの相場まで教えてくれる。テラ親切w

宿の前の路地は、なかなかいい雰囲気。


教えてもらったタクシー乗り場に行くと、白い乗用車が何台か止まっている。

ミャンマーのタクシーは、普通の乗用車と区別がつかないみたい。

こういうタクシーって旅行者にはハードルが高いと思う。

早速タクシーと値段交渉して、シュエダゴンパゴダへ連れて行ってもらう。

タクシーを降りると、入り口付近にはビニール袋売りの少年達がいる。

境内は土足禁止のため、靴を入れる袋を売っているらしい。

シュエンダゴンパゴタの場所はココ。

境内に入って、長い階段をずーっと、ずーっと登る。


そしてようやくお寺に着く。

デカイ。

広い。

綺麗。


ミャンマーのイメージにぴったりな景色。

旅行者は絶対行くべきスポット。


一通り周ってお寺を出る時に階段で滑ってコケる。

周りの目が恥ずかしい。

他に行きたい所は思いつかなかったので、タクシーに乗って宿の近くで降ろしてもらう。

少し歩くと美味そうな店を見つけたので昼飯。

ココナッツミルクのスープに入った麺。

最高に美味い。


テーブルに置いてあった謎の揚げ物も美味しかった。


店の場所はココ。

本日のミッション「マンダレー行きのバスのチケットを買う」を実行すべく、宿に戻っておばさんに相談。

僕「マンダレーに行こうと思うんですが、アドバイスもらえませんか」

おばちゃん「バスのチケットならウチで扱ってるよ」

なんとこの場でチケットが買えるみたい。

おばちゃん「マンダレーでいいの?」

ヤンゴンからマンダレーを経由してタムー(インドとの国境の街)へ行く予定だったけど、直接タムーへ行く方法が無いか聞いてみることにした。

僕「最終的にはタムーに行きたいんですが」

おばちゃん「タムー?もしかしてインドとの国境の?」

おばちゃんはちょっと引いている。

僕「はい」

間違いが無いように、地図でタムーの位置を指差した。

おばちゃん「タムー行きのバスのチケットもあるけど」

おばちゃんが教えてくれたバスに乗れば、4日かかると思っていた工程が2日で行けるみたいだった。

僕「明日出発のチケットをください」

おばちゃん「それはそうと、昨日(と言うかこの日)はどこから来たの?」

僕「ミャワディからバスで」

おばちゃん「バスかー。だからあんなに遅かったのかー」

前日の地獄のバスと、これから乗る地獄のバスに乗る僕のことを不憫に思ったに違いない。

そしておばちゃんはチケットセンターに電話してくれた。

おばちゃんが言うには

  • バスが出発するバスターミナルはアウンミンガラー
  • 12時にはバスターミナルに着くように
  • 乗るバスはコレ。絶対に間違えるな

とのこと。

僕はおばちゃんがスマホで見せてくれたバスの画像を急いで撮った。


チケットの「Bus Company」の所に書いてある読みは「シューマンダラー」。後々これの読み方が重要になる。


ーーーお役立ち情報ーーー

  • ヤンゴンからタムー(インドとの国境の街)までは39000チャット
  • バス会社はshwe mandalar(シューマンダラー)
  • shwe mandalarの公式サイトから購入すると37000チャット
  • 宿で取り扱っているバスのチケットの種類はコチラ

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チケットも手に入れて安心した僕は、街ブラしながらボージョー・アウンサン・マーケットに行くことにする。

マンダレーを飛ばして一気にインドへ抜ける分、この日はミャンマーを楽しまなくては!

ヤンゴンの街並みは、東南アジアでよく見る雰囲気。

マーケットも東南アジアでよく見るような感じで、特に欲しいものは無い。

マーケットで声をかけてきた土産物売りの女性が日本語ペラペラで驚く。

帰国後、ミャンマー関係の動画をYoutubeで見ていたら、彼女が出ていてさらに驚く。

マーケットで飲んだアボカドシェイクは美味しかった。


ボージョー・アウンサン・マーケットの場所はココ。

マーケットから帰る時、女の子の物乞いが座っていた。

一度通り過ぎたんだけど、なんかすごく悲しい気持ちになった。

物乞いは東南アジアでよく見る光景。

だけど、15歳ぐらいの少女がか細く震える声で「私を助けてください(たぶん)」と通る人に訴えるように言っている光景を見て、今までになく胸が痛くなった。

僕は女の子の所に戻ってお金を渡した。

胸が詰まって、心の中は半ベソ。

もちろん、僕が渡したお金で少女を救うことはできないことはわかっている。

誤解の無いように書くと、ミャンマーが東南アジアで飛び切り物乞いが多い印象だったわけではないです。

夕方になったので、宿の近くのローカルな食堂を見つけて入る。


メニューはミャンマー語で読めないけど、麺類があるみたい。

ガイドブックに「国民食のモヒンガー」って書いてあったことを思い出して「モヒンガーください」と言うと、店員さんはわかってくれた感じ。

モヒンガー、美味い。


店の場所はココ。

食べ終えてから、近くの商店に入ってビールを探すけど見当たらない。

商店の人にビールがあるか聞いて、別の店に売っていることを教えてもらう。

ようやく目当ての店を見つけてミャンマーのビールを2本買い、宿に戻って乾杯。

疲れた。もう寝よう。