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アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【6日目】インパール街ブラ、インパール作戦に想う


ーーーこの日のミッションーーー

  • インパール作戦で亡くなった日本兵を弔う

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朝起きても前日の疲れは残っている。

朝食付きだったので、意地汚なく朝食ビュッフェでフィーバー。


部屋に戻る時に窓から見えた街の光景は灰色が多い。


この日は移動の予定が無い。(もう移動は嫌!)

その代わり、第二次世界大戦中に日本から遥か離れたこの地で亡くなった多くの日本兵に手を合わせようと思っていた。

この街を訪れた理由は、たまたまアジアハイウェイ1号線の通過都市だったからに過ぎなかったけど、そんな僕もインパールと聞けば「インパール作戦」と言う言葉を連想する。

せっかく訪れるインパール。少しは勉強しておこうと予習はしている。

ーーーインパール作戦ーーー

第二次世界大戦中、日本軍がビルマ(今のミャンマー)からインドのインパールへ進軍して、中国への補給ルートを壊滅させる作戦。

日本軍は物資の輸送を水牛に頼り、その水牛を食糧にする計画だったけど、河を渡る際に多くの水牛は流されてしまう。

日本アルプス並みの山々を越えなくてはならず、多くの日本兵が病気や体力消耗状態で戦い、2万人以上が死亡、3万人以上が病気。

大失敗作戦の代名詞。

違ってたらごめんなさい。

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インパールには日本兵の慰霊碑があるらしい。

宿を出てタクシーを探そうとしたけど、この街のタクシーは単なる乗用車。ひと目見てタクシーと判別できず、どれを止めればいいのかわからない。

宿のフロントへ戻って相談したら、タクシーを呼んでくれることに。

しばらく待ってやって来たのはデカイ四駆。

タクシーは街を抜けて30分ぐらい走り、慰霊碑と資料館のある場所で停車。


資料館の内部は撮影禁止。スマホは預けることになっていたので写真は無し。

展示されていた地図にあった進軍ルートは、前日にイニシャルDをした峠付近。

そして日本の総理大臣が筆で書いた大きな文字(確か「平和」だったと思う)がある。

資料館を出て少し歩くと慰霊碑がある。

戦時中、こんなに遠くまで来て戦死した多くの日本人はどんなに辛くて悔しかっただろうか。

合掌


資料館と慰霊碑の場所はココ。

タクシーで街に戻って、イママーケットで降ろしてもらう。

ここは女性だけが働いている市場。

思ったより大きい。

東南アジアのような活気ある市場と言うよりは、女性達が静かな感じで物を売っている。

撮った写真をおばちゃんに見せると喜んでくれた。


こっちもおばちゃん。


海の無い土地だから川魚かな。


インドだから唐辛子もある。


市場の周りはこんな感じ。


イママーケットの場所はココ。

飽きたので、宿に戻りつつ街ブラ。

屋台がいくつか集まっている場所を見つけたので昼飯。

インドは同じ物を売る店が集まる習性があるのか、飯屋はどれも同じメニュー。

食べたのは油っぽい卵入りのかき揚げと油っぽい焼きそば。


宿に戻る途中、カッコイイ軍人さんがいたので「写真撮らせてください」って言ったらNG。残念。

宿の前にある軽食屋でラッシーを注文。

美味しかったので、もちろんお代わり。


店の場所はこの辺。

宿に戻り、wikipediaでインパール作戦を復習。

なぜかアンサイクロペディアのインパール作戦関連にたどり着き、不謹慎ながら小さく笑ってしまう。

気が付いたら夜。

外に出て飯を食べるのも面倒臭い。

部屋にあった紅茶を夕食としてこの日は終了。

飲んだのはもちろんアッサムティー。(アッサムはインパールから近い)


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