旅とか雑記とかを冗長に

ラベル アジアハイウェイ1号線の旅 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アジアハイウェイ1号線の旅 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

アジアハイウェイを旅した持ち物一覧 4/4(大きいバッグ編)


(1)大きいバッグ,(2)薄手のフリース,(3)着替え,(4)歯磨きセット,(5)衛生用品,(6)薬,(7)小物入れ,(8)コンセントの変換アダプタ,(9)延長コード,(10)PCアダプタ,(11)トイレットペーパー,(12)タバコ*

*は写真がありません

(1)大きいバッグ

移動時に使うメインのバッグ。

過去の旅では、バンコクで買った大きい安物ザックを使用。安物ゆえに若干壊れていたので、2019年は登山用ザックを流用。

持っているサイズは65Lと32L。どっちにするか迷ったけど、65Lはバカデカいのでやめた。

結果として、32Lはちょうどいいサイズだったと思う。

バスの荷台に雑に積まれて金具が壊れたり泥だらけになるから、やっぱり安物の方が気兼なく使えていいかな。

(2)薄手のフリース

南国でもエアコンで凍えるほど寒いことがあるから必須。

春秋は自宅と空港の往復でも活躍。

カメラとか壊れやすい物をザックに入れて移動するときには、緩衝材代わりに使える優れもの。

(3)着替え(Tシャツ×3、パンツ×3、靴下×1)

実際には着ている服もあるので、これらにプラス1枚ってことになる。

長期旅行でもこんなもんで十分。

Tシャツは綿素材より速乾性のシャツの方が軽くてコンパクトだし早く乾くから良いかも。

靴下は数日同じので問題ないっしょの精神。

3日間ぐらい同じTシャツだった時もあったかも。

(4)歯磨きセット

必須よね。

(5)衛生用品(絆創膏、綿棒、ロキソニン)

使う機会はほとんどないけど、万が一を考えると不要とは言えない。

(6)薬

病んでいるので。

約1ヶ月分の薬はかさばって、荷物の1/4ぐらいを占めた。

仕方ないか。

(7)小物入れ(ロープ、爪切り、ナイフ)

登山道具から流用。

ロープは一度だけ室内で洗濯物を干すのに使ったぐらい。基本的には洗濯物は少ないので、椅子にかけたりベッドにバスタオルを敷いてその上に置いたりで十分。

爪切りは長期旅行では必須。

切れ味はメイドインジャパンがナンバーワン。

ナイフは飛行機の持ち込み荷物にできないので、持って行かない方がベターかも。

(8)コンセントの変換アダプタ

写真は過去に使っていた物。

2019年の旅で使用したお気に入りのアダプタを撮影しようと探したら、紛失していることに気が付いて軽くショック。

(9)延長コード

普段から使っている100Vの差し口2つとUSBの差し口が3つ付いているやつ。

荷物がかさばるのがたまに傷。

撮影時に規格をよく見ると、海外の電圧に対応していないことに今更気づいて顔面蒼白。

関係ないけど海外ってコンセント挿す時にバチッて火花が出る頻度が高い気がする。怖い。

(10)PCアダプタ

ノートPC用。

(11)トイレットペーパー(2ロール)

メイドインジャパンの品質が一番よ。

海外のトイレットペーパーは紙が厚くて巻き数が少ないのですぐに無くなる。

宿の人に都度言えば貰えるけど、「コイツはうんこしに俺の国に来てるのか?」って思われたくないから持参したペーパーをたまに使用。尻肌に優しいたまの贅沢。

多い日も安心。

(12)タバコ(2カートン)

1日1箱で20日生き延びれる計算。

けど2019年の旅は3回ともそれ以上の日数。

消費を抑えるために、出歩いている時は現地で買った紙巻きタバコ、宿では電子タバコの生活。

電子タバコに慣れると紙巻きは不味くて毎回「マッズ!」って思いながら吸っていた。

ちなみに幾つかの国では電子タバコは違法。タバコも入国時に1カートンまで。

僕は特別な訓練を受けているので問題なかったけど、良い子は絶対に真似しちゃいけない。

アジアハイウェイを旅した持ち物一覧 3/4(小さいバッグ編)


(1)小さいバッグ,(2)パスポート,(3)国際免許証,(4)現金,(5)パスポートのコピー,(6)証明写真,(7)simカード,(8)Eチケット*,(9)封筒,(10)小さいジップロック,(11)ノートPC,(12)カメラ,(13)モバイルバッテリ,(14)タオル,(15)トイレットペーパー、ポケットティッシュ,(16)ガイドブック

*は写真がありません

(1)小さいバッグ

会社員時代に通勤で使っていたバッグ。

街をブラブラ歩くときにはやや大きく感じるけど、街ブラ用にもう一つバッグを持つと荷物が増えるのでこれで兼用。

ノートPCが入るし防水だから悪くない。

メッセンジャーバッグって言うの?

肩にかけて背面に回すので邪魔にならない。

(2)パスポート

説明不要の必須アイテム。海外で使える唯一の身分証明書。

バッグを持たずに出歩く時には不用心にも宿に置きっぱなし。

(3)国際免許証

バイクをレンタルした時用に取得。

今までバイクをレンタルして「国際免許証を見せろ」なんて一度も言われたことが無かったので不要かと思ったけど念の為。

インドで検問に捕まった時に提示したら「俺には日本語は読めないから無効」なんて言われた。英語も併記してあるのに。

(4)現金(米ドル)

普段の旅では持たない。

今時はどこにでもクレジットカードで現金を引き出せるATMがあるので米ドルを持つメリットってほぼないと思っている。

2019年の旅では情報がほとんどない場所にも行ったので、とんでもない田舎だったらヤバいと思って10万円分ぐらい準備。

結果としてATMはあっても現金不足で閉まってることが多く、持って行って良かった。(けど10万円分はいらない)

これも宿に置きっぱなしが多かった気がする。幸いにも盗まれてはいない。

部屋にセーフティボックスがある宿もあったけど、あれって開かなくなった時のことを考えると不安になるから使わない。

ノーガード戦法。

(5)パスポートのコピー

ほぼ使わないけど毎回持っているアイテム。

陸路国境周辺は外国人用のチェックポストがあるので、そこで提出を求められる可能性を考えて持参。

実際にはチェックポストで求められたことは一度もなかったけど、ゴアでバイクを借りた時に1枚使用。

パスポートを紛失する事態になれば役に立つかもしれない。

(6)証明写真

これも前述のパスポートのコピーと同様の目的で持参。

(7)simカード

タイのAISが発売しているSIM2Flyというsim。(写真はSIM2Flyが無かったのでインドのairtelのsim)

Amazonで現地と同じぐらいの値段で売っていたので事前に購入。

Globalバージョンはタイ国外での使用も可能。(サポート対象国に限る)

使用期限を超えてもタイ国内であれば課金して使用が可能。

でもミャンマー、インド、バングラデシュでは自分の設定が悪かったのかほぼ使えなかった。

(8)Eチケット

理屈では電子チケットなのでプリントアウトしたものを持つ必要はないと思うんだけど、毎回空港のカウンターで見せなきゃいけないのは何故なんだろう。

試しにパスポートだけでチェックインできるか試したら、チェックインできたりできなかったり。航空会社によって違うみたい。

やっぱり持って行くべき物。 

(9)封筒

数種類ある紙幣を分類する用。

基本的には国境を越えたら前の国の紙幣は全部両替して持たないようにしている。できなかった場合に、もう使わないであろう紙幣を保管する用。

(10)小さいジップロック

コインは両替できないので、国境を越える前には水や小物を買ってできるだけコインを残さないようにしている。

それでも残ったコインはこの中へ。そして帰国後に姪っ子にお土産としてあげている。

日本の空港にある銀行窓口から拝借。

(11)ノートPC

メールチェックやYouTube、まとめサイトを見たり、旅の情報収集に使ったり。

スマホで事足りる人には重いので不要。

外出時は完全に宿に放置。不用心よね。

(12)カメラ

持ち歩くのが面倒で結局スマホで写真を撮っていた。

旅の3日目ぐらいから文鎮と化して宿に放置。

(13)モバイルバッテリ

バスでの長距離移動とかヤバいのは20時間とかあるから、持っていた方がいい。

(14)タオル

汗拭き用。

暑い地域では汗でビチャビチャになるので、ハンドタオルより首に掛けられる普通のタオルの方が好き。

ダサいのは十分承知。

(15)トイレットペーパー、ポケットティッシュ

尻拭き用。

紙がないトイレが多いから持っていた方がいい。

写真は新品だけど、携帯性を考えて半分以上使って細くなったロールを潰したものを持参。そして可能なら芯は抜いている。

ちなみにシングル派。

ポケットティッシュは水に流せるタイプ。

こんなのあるんだね。嫁さんが見つけてくれた。

(16)ガイドブック

ほとんど読まない。

けど無いとそれはそれで不安。

どこでもスマホでネットができるとは限らないし。

アジアハイウェイを旅した持ち物一覧 2/4(ポケットの中編)


(1)スマホ,(2)財布,(3)電子タバコ

(1)スマホ

今や必須アイテム。

現地の情報や地図、宿の予約などできる優れもの。

旅先で現地のsimカードを使いたかったのと、日本でのキャリアを格安simにして出費を抑えたかったので、simフリーのiPhone 7を事前に購入。

端末代はそこそこしたけど、月々8000円ぐらいだった通信費が2000円ぐらいになったから、長期的に見れば安く抑えられた。

(2)財布

チェーンがついているやつ。

以前スリにポケットに手を入れられることを2度経験。できるだけ自衛はしたい。

お札を入れるポケットが2つあるから通貨別に紙幣を管理できて便利。

(3)電子タバコ

忌み嫌われる喫煙者なんで。

心配性なので充電が切れた時用に2台持参。

アジアハイウェイを旅した持ち物一覧 1/4


「2019年ニートの旅」の持ち物達の紹介。

今後旅する人の参考になればいいと思ったのと、今後自分が旅する時の参考になればいいと思って整理してみたメモランダム。

旅をしたのは2019年だけじゃなく、学生時代に始まり社会人になっても東南アジアを中心に多い時には年に3回ぐらいのペースで敢行。

その頃からの持ち物に大きな変化はなく、結局のところいつもの旅道具。

持ち物は必要最低限の物だけをコンパクトに持ち歩くのが流儀。

極端に言えばパスポートとクレジットカード以外は何も持たなくてもいいと思っているけど、着替えは現地で買うとしても結局荷物になってしまうので、ある程度の妥協は必要かも。

「ポケットの中」、「小さいバッグ」、「大きいバッグ」と3つに分けて紹介。

ポケットの中

     

(1)スマホ,(2)財布,(3)電子タバコ

小さいバッグ

     

(1)小さいバッグ,(2)パスポート,(3)国際免許証,(4)現金,(5)パスポートのコピー,(6)証明写真,(7)simカード,(8)Eチケット*,(9)封筒,(10)小さいジップロック,(11)ノートPC,(12)カメラ,(13)モバイルバッテリ,(14)タオル,(15)トイレットペーパー、ポケットティッシュ,(16)ガイドブック

*は写真がありません

大きいバッグ

     

(1)大きいバッグ,(2)薄手のフリース,(3)着替え,(4)歯磨きセット,(5)衛生用品,(6)薬,(7)小物入れ,(8)コンセントの変換アダプタ,(9)延長コード,(10)PCアダプタ,(11)トイレットペーパー,(12)タバコ*

*は写真がありません

2019年ニートの旅はコチラ。

アジアハイウェイ1号線の旅【まとめ(仮)】


アジアハイウェイ1号線の旅、第1章は「激走東南アジア編」としてタイのバンコクからインドのコルカタへ、第2章は「狂宴南アジア編」としてインドのデリーからパキスタンのイスラマバードへ陸路を使って行きました。

まだアジアハイウェイ1号線のすべてを走れていないので、まとめを書くには早すぎるのですが、まぁ諸事情で一旦〆的な。

旅したルート


赤線:今回旅したルート(陸路)

青線:今回旅したルート(飛行機)

黄線:過去に旅したルート

アジアハイウェイ1号線

アジアハイウェイ1号線は東京の日本橋からトルコのエディルネまで続いているらしいです。

「らしいです」とあえて書いたのは、全線を自分の足で確認出来ていないからです。いつか「続いています」と書けるようになりたい。

起点

東海道やら中山道やら、古来より日本の道路の起点とされたのは日本橋です。

この日本橋がアジアハイウェイの起点となり、ユーラシア大陸を横断して遥かトルコまで道が繋がっています。

想像するとワクワクしませんか?

しますよね?

僕はワクワクする。

旅の前に、ちょっとした用事があって車で首都高を走った際、日本橋でアジアハイウェイ1号線の起点となる標識を見つけました。


ここに書かれている「AH1」の標識は、僕が走った遥か遠い道で時折見ることができました。

果たして繋がっているのか

まだ未確認なので僕にはわかりません。でも多分繋がっていると思います。

Google Mapを見る限り、この道の難所はミャンマーやインド北東部じゃないかと考えています。

幸いにもこの区間は今回の旅で踏破済。

峠越えが数多くありましたが、道はしっかりと繋がっていました。

そして途中途中に「AH1」の標識を見ることができました。

ただし未舗装区間が多くあり、多くの人が想像する「ハイウェイ」とは程遠い道であることを付け加えないといけません。

現在、政治的な問題で走破不能の区間は、北朝鮮とアフガニスタンです。

こればっかりは仕方ない。

近い将来、これらの国に気軽に行けるようになることを願います。

Google Mapを見ると、道自体は繋がっているのかな?って思います。

まとめ(仮)的な

現在(この記事の初稿を書いているのは2020年7月)、本来なら中国やベトナムから帰ってきているはずなのですが、旅は一時停止しています。

パキスタンから帰って来て、絶賛引きこもり中です。

2019年の11月に帰国後、次の旅は暖かい春になってからと思い「アジアハイウェイのどの区間を攻めようか」とフツフツと妄想を膨らませていました。

そんな矢先に疫病が騒がれ始め、今や世界中の飛行機はほぼすべてストップ。

観光できる状態にありません。

いつ旅ができる状態に戻れるか、今のところ誰にも分かりそうにありません。

なので次回の旅は無期限延期。

会社を辞めて、長い夏休みとしてこのブランク期間を旅行に当てがいました。

でも夏休みはいつまでも続きません。

未だ働きたくないでござる状態ですが、次の旅に出る前に就職しているかもしれません。

そうするとアジアハイウェイ1号線の旅は頓挫か?ってなります。

でも僕はそう思っていません。

確かに今回のように長期間の旅はできなくなりますが、5日間ぐらいの旅を細切れのように繋げて行ってもいいし、老後に残りを旅してもいい。

これだけは強く言いたい。

     

僕自身が終わってないと思えば、生きてる限り終わらないんだと思います。

なのでまだ旅の途中。

ちょっと長めの一時帰国中です。

本音を言えば、この無職期間にアジアハイウェイ1号線のすべてを踏破して、感動のフィナーレを迎えたかった。

最後に、旅で出会ったすべての人、すべての優しさに感謝します。

そして旅を勧めてくれた嫁さん、笑顔で送り出してくれた嫁さん、僕のクソつまらない旅の話を笑顔で聞いてくれた嫁さんに感謝します。

ブログは今後も駄文を冗長に書きますが、アジアハイウェイ1号線の旅シリーズは一旦〆(仮)。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【まとめ】


今回のアジアハイウェイ1号線の旅は、インドのデリーからパキスタンのイスラマバードまでを陸路移動しました。

そして途中、脱線してゴアで音と紫煙と乃木坂とマンガに包まれる日々を過ごしました。

食、景色、出会い、文化交流と、様々な体験ができました。

体調不良のまま出発となり、楽しい事が素直に楽しめない、楽しいって理屈ではわかっているのに心に薄い膜が張っていて鈍麻しているような、正直そんな感覚を持ちながらの旅でもありました。

体調が良かったらもっと楽しかったのかな?

でも十分いい経験を得れたと思っています。

うん、これだけは胸を張って言える。

インド

やっぱり唯一無二の個性派国家でした。

よく「インドは好きか嫌いかハッキリと別れる」と言われますが、僕の場合は「好きでもあるし、嫌いでもある」です。

この感想は、学生時代に初めてインドに行った時の感想と変わっていません。

嫌なところも沢山あるけれど、良いところも沢山あります。

上手く書けるか自信が無いですが…

人を好きになる理由って、一緒にいて心地いいとか、趣味が合うとか、知識や経験が尊敬できるとか、色々あると思います。

けれど人間は完璧じゃない。ネガティブな要素だって持っているわけで。

そういうネガティブ要素とポジティブ要素を足し算してプラスになったら「好きな人」、マイナスになったら「嫌いな人」、なんて答えが導き出されるのかな?って思います。

実際自分がどういう思考プロセスで好き嫌いを判断しているのか、我ながら解っていませんが。

でもインドやインド人って、なぜかそんな単純に答えが出せません。

僕にとってのインドは「良いところも悪いところもある国」なんです。

「この人は親切にしてくれたから、インド人は良い人」とか「この人は詐欺師だから、インド人は悪い人」とか単純に言えなくて、「このインド人は良いところも悪いところもある人」って思ってしまう。

それにたまたま悪いインド人に出会ったからって、インドを悪く思うのは間違っている。

タイなら「好き」って言えるんだけどな。

インドは嫌な事も沢山あるけど、なんか嫌いになりきれない。

「またインドに行きたい?」と聞かれたら胸を張ってこう言います。

「もちろん、また行きたい!」

ゴア

僕がゴアトランスに傾倒したのは1997年ぐらいだと記憶しています。

初めてインドに行ったのが1996年なので、あと1年早くゴアトランスと出会っていたら、この時にゴアに行ってたのかな。

その初めてのインド旅行の際、バンコクの空港でインド行きの便を待っている時に、ゴア帰りの日本人と知り合いました。

この時の彼の会話を聞いて「うわっ!こいつヤベェー」って思ったのを今でも憶えています。何がヤベェーのかはあえて書きませんが。

そんな僕も、23年の時を経てゴアの地を踏みました。

今回訪れたのは11月。ゴアのシーズンと言われているのが12月から3月らしいので、少しだけシーズンを外していました。

だからなのかな?

「僕の描いていたゴアのイメージとは少し違っていた」と言うのが正直な感想です。

クラブで踊っている人は、95%以上が裕福層と思われるインド人の若者でした。

そして田舎だからか、結構閑散とした街でした。

日々ゴロゴロと引きこもっていて、ひどい時は1日1食だけ。

唯一の食事とクラブ活動の時に、重い腰を上げて街をバイクで徘徊する生活。

今思えば、サンセットを見に行ったり、フリーマーケットを見に行ったりすれば良かったかな。

あ、バガビーチも行っていないや。

もっとバイクで色々行っても良かったかも。

次回行ってみよう。

と言って、次回行ったとしても腰が重くなるんだろうな。

アムリトサル

パキスタンとの国境にあってシク教の聖地。

どういう経緯でそんなことを知ったのかは定かじゃないけど、この響きからアムリトサルの存在を知り、いつか行ってみたいと思ってから10年以上経過していると思います。

何かのきっかけでパキスタンに越境する機会があったら、是非立ち寄りたいと思っていました。

今回はそんなチャンスが巡ってきました。

アムリトサルの思い出は、なんと言っても黄金寺院。

あまりに素敵な場所で、2夜連続で訪れてしまいました。

今思えば、太陽の日差しに輝く寺院も見ておけば良かったかも。

荘厳な建物は必見でした。そしてシク教徒が真剣に神に祈る姿も、僕の目には眩しいくらいに美しく映りました。

街は細い路地が入り組んでいて、適当に歩いていると方向感覚を失います。そんな瞬間がとても心地良く、元来た道に戻るなんてもったいなく感じて、道がわからないままさらに進んでしまいました。

そしてそこに生活する人や、野良犬や、馬に紛れ込むのが楽しかった。

パキスタン国境で行われるフラッグセレモニーも必見。

あれが毎夕開催されているのは驚きです。

とにかくものすごい数の人が集まって、ものすごい音量の音楽が鳴って、ものすごい熱量のエネルギーがあります。

インドとパキスタンにはいくつかの政治的問題がありますが、相手国に対する敬意も感じられるセレモニーでした。

そしてBSF(Border Security Force)、カッコイイぜ!

パキスタン

初めての国でした。

そしてまったくの不勉強でした。

ガイドブックもsimカードも買わなかったので、例えば食事をする時にどんな料理があるのかまったく知らずに飯屋に入っていました。

恥ずかしながら、使われる言語がウルドゥー語って事も、文字がアラビア文字って事も、パキスタンに入るまで知りませんでした。

よくそんな状態で行ったなと我ながら感心します。

パキスタンとインドは元々一つの国です。似ていると感じた部分もありましたが、宗教が違うと文字や服装まで違うのかと、自分的には小さな発見がありました。

多くの日本人はパキスタン含め中東やイスラム教に対して、「テロ」とか「戦争」とか、ネガティブなイメージを持っていると思います。

ネガティブなイメージでなくても「よくわからない国」じゃないでしょうか。

そんなイメージが一転しました。

まず人が皆親切。

そして素朴な優しさがあると言うか、居心地の良さを感じました。

時には法律にまで宗教の戒律が影響する国ですが、異教徒の僕を皆が寛容に受け入れてくれました。

じゃぁ僕が持っていたイメージの原因は何だろう。

1人でも多くの人が、見聞きする情報に惑わされる事なく、本当のパキスタンを「体感」してポジティブなイメージを持って欲しいと願います。

次回はゆっくりと周ってみたい。

今回行ったラホールでは、神秘主義者達が集うスーフィーナイトという儀式があるようなので見てみたい。また北部の山岳地帯にも行ってみたい。

ラホール

うーん。宿に泊まって、近くのマーケットで飯食っただけなので、あまり印象がありません。

前述の通り、スーフィーナイトという宴があるらしいので行ってみたかったかな。

毎週木曜夜開催で、僕が泊まったのも木曜。

行けば良かったかな?

イスラマバード

予約していた宿にまさかの「外国人お断り」って言われてヘコみました。

結局泊まることになった宿は町外れ。

ゴミゴミした下町を目的無く徘徊したかったのですが、宿の周りにそんな場所はありませんでした。残念。

2夜連続でコルマなる食べ物が出てきたのはウケました。

ガイドブックも下調べも一切無し状態の僕は「この国にはコルマしかないのか?」って一人ツッコミ。

でもとても美味しかった。

唯一の観光はファイサルモスク。

近代的で素敵なモスクではありますが、それよりヒーロー現象が楽しかった。

ヒーロー現象:外国人であることを珍しがられて、一緒に写真を撮ったり、電話番号を聞かれる現象。僕が勝手に命名

パキスタンの人が優しく温かいことを知る良い機会でした。

強いて言えば、宿泊を断られて徘徊できなかったラワルピンディで迷子になりたかった。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【19日目】ニイハオ北京、ただいま日本


飛行機で座った状態なので、あまり寝れず何度も目が醒めてしまう。

起きた時には寝る前よりも疲労状態。

時刻は北京時間の早朝4時過ぎ。

この飛行機はパキスタンのイスラマバードから北京を経由して成田に行く。

経由便って言うのかな?乗り継ぎ便とは違う。

飛行機の経験は沢山あるわけなじゃないし、ましてや経由便は人生で2回目。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【18日目】イスラマバードの空港は難易度高、さらばパキスタン


ーーーこの日のミッションーーー

  • 飛行機で成田へ行く
  • アメリカドルへ両替する

ーーーーーーーーーーーーーーー

この日は最終日。

夜に離陸予定の飛行機に乗る以外イベントは皆無。

本当はゴミゴミした街をブラブラしたり、生活感溢れるパキスタンを感じたりもしたかったな。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【17日目】イスラマバードにてヒーロー現象再来


ーーーこの日のミッションーーー

  • ファイサルモスクを見る

ーーーーーーーーーーーーーーー

朝起きてこの日に何をするか考える。

出発前からイスラマバードでやりたい事は特に無かった。

昼までベッドでダラダラして、結局ファイサルモスクに行ってみる事に決定。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【16日目】長距離バスでラホールからイスラマバードへ


ーーーこの日のミッションーーー

  • ラホールからイスラマバードへ行く

ーーーーーーーーーーーーーーー

9半頃にチェックアウト。

この日は今回のゴール、イスラマバードへ行く日。

宿の受付でDAEWOOのバスターミナルに行きたいと相談。

DAEWOOはパキスタンのバス会社。

公共のバスターミナルとかあるのかもしれないけれど、事前調べではDAEWOOしかわからなかったので、安全を取ってこのバスに乗ることにする。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【15日目②】ラホールの路地風景、文字が読めません


そうこうしているうちに車は宿に到着。

閑静な住宅街にある宿。


宿の場所はココ。Al Burhan Express Hotel。

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【15日目①】インドからパキスタンへ陸路国境越え(アタリ、ワーガ)


ーーーこの日のミッションーーー

  • アムリトサルからアタリ(インド側の国境の街)へ行く
  • インドを出国してパキスタンに入国する
  • パキスタンルピーへ両替する
  • ワーガ(パキスタン側の国境の街)からラホールへ行く

ーーーーーーーーーーーーーーー

10時ぐらいにチェックアウト。

この日は入り口のソファーに宿の人が座っている。(やっぱりターバン)

国境まで行きたい事を相談したら、車を呼んでくれることになる。

車を待っている間、ターバンお兄さんと話。

お兄さんから、是非宿のレビューをしてくれと頼まれる。

事前に予約していたのに部屋が無いからって別の宿に行かされたり、ホットシャワーが出なかったり、入り口のソファーは常に無人だし、レビューに書いていいのかな。

でも部屋は清潔で、何か相談したらすぐに対応してくれたり、黄金寺院から近いロケーションだったり、良い印象も多い。

先に書いたマイナス要素はインドでは気にする類いのものじゃないか。

しばらく待っているとドライバーがやって来る。

ターバンお兄さんにお別れを言い、車に乗り込む。

あまり話が弾まないまま40分ぐらいで国境に到着。

車はここまで。

この先にある建物が出入国の場所らしい。


ーーーお役立ち情報ーーー

  • アムリトサルから国境までは車で約40分。1500ルピー

ーーーーーーーーーーーー

出国は問題無く通過。

バスに乗るように言われる。

バスに乗ったまま15分。誰も来ない。

軍人(BSF?)が来て、あっちのバスに乗れと言われる。

待ち損。


バスの乗客は僕を含めて3人。

変な時間ではないのに人は少ない。

前日のフラッグセレモニー会場。

ここでバスを下ろされる。


この景色、チョーいい!

会場のど真ん中を歩いて先に見える門へ


門が近づいて来る。


ここでインド側の門番に出国スタンプが押されたパスポートを見せ、いくつかの質問に答える。

そしてインド側の重々しい門が開かれる。

続いてパキスタン側の重々しい門も開かれる。

やっぱりパキスタン側の門番からもいくつかの質問があり、パスポートのビザを確認すると「Welcome to Pakistan」と言われて通過を許可。

いやー、感動。

この広いスタジアム風の敷地に、国境を越える人は僕1人だけ。

見た目が「いかにも国境」と言う雰囲気。

僕のためだけに重厚な門が開かれたり、「Welcome to Pakistan」だなんて。

是非是非、機会があればこの国境の感動を他の人にも味わって欲しい。

パキスタン側は、インド側と比較しすると小さなスタジアム。(それでも十分立派だが)

国力の差なのかな。

パキスタン側


インド側


パキスタン側の入国をするため、スタジアムを抜けてそれらしい建物に入る。

荷物チェックはかなり厳重。

入国手続きをしている人は僕を含めて5人ぐらい。

これだけ大きい国境なのに、随分と少ない。

インドとパキスタンは物流も人の移動もほぼ無いみたい。

そして無事に入国。初パキスタン。

左が入国スタンプ、右がパキスタンビザ。

シンプルでカッコいい。


建物を出て、この日の宿泊地であるラホールへ行く手段を探そうとするけれど、辺りには誰もいない。

仕方ないので少し歩くと人が数人いるのを発見。

僕「あのー、ラホールまで行きたいんですが」

パキスタン人「俺の車で行きなよ」

他に人はいないし選択肢は無い。

僕「パキスタンルピーを持ってないから両替してもらえます?」

インド側でもパキスタン側でも両替所は見なかった。

誰かに両替してもらわないと先へは進めない。

結局両替もOKで、手持ちのインドルピー全部と米ドルを少しパキスタンルピーに両替。

そして助手席に乗り込んでラホールまで1時間弱。

運転手は予約していた宿を知らないらしい。

「カーナビにセットしてくれ」と言われたので、僕が目的地を設定。

カーナビがある事にも驚いたけれど、今のカーナビって地図がgoogleマップなのね。そっちの方が驚き。

道中は色々パキスタンの事を教えてもらう。

今から行くラホールは、真夏に気温が50度を超えるとか。

50度超えって死んじゃうじゃん。

息しても、入って来る空気は熱風じゃん。

そしてインドに対する感情についても聞いてみる。

僕「やっぱ、インドに対しては悪い感情とかあるんですか?」

運転手「政治的には対立しているけれど、個人的に悪い感情は持っていないよ。他のパキスタン人も僕と同じじゃないかな?」

運転手「そもそもパキスタンとインドは元々一つの国だから、言葉も文化的も似ているよ」

僕「そうなんすか。僕の国には国境が無いから不思議な感覚です」

運転手「韓国と北朝鮮みたいなもんだよ」

僕「なるほど。わかりやすい」

「韓国と北朝鮮」の例えがすごくわかりやすい。

インドとパキスタンは文字はまったく違って見えるけれど、言語(ヒンディー語とウルドゥー語)は相互理解が可能って聞いたことがある。

そう言えば、デリーでお世話になったラジュはウルドゥー語も話せるって言っていた。

運転手曰く、料理もインドと大して変わらないらしい。

すごく勉強になったし、有意義な会話。

ーーーお役立ち情報ーーー

  • 国境からラホールまでは車を見つける。他の手段があるかは未確認
  • 国境に正式な両替所は無い。パキスタンルピーはアムリトサルであらかじめ入手しておくか、国境で人を見つけて相談
  • 国境からラホールまでは車で1時間弱。3500ルピー(相場かは不明。僕の場合は他に選択肢が無かった)

ーーーーーーーーーーーー

アジアハイウェイ1号線の旅 狂宴南アジア編【14日目③】アムリトサルで危うく食い逃げ、夜の黄金寺院再び


(この文章の一部はフィクションです)

アムリトサルの宿に戻った時には、すでに辺りは真っ暗。

宿で少し休んでから、街をふらつきながら何か食べようと外に出る。

タバコを吸っていたら、シク教徒のおじさんに怒られる。

この時初めて黄金寺院の周囲が禁煙なことを知る。

知らなかったとは言え、シク教徒にとって大切な場所でごめんなさい。

どうりで、この街にはタバコ屋が少ないわけだ。昨晩は探すのに苦労した。

そして見つけたのは謎肉焼きの屋台。


炭火で串焼き、美味そう。


注文すると、ドレッシング的なものがかかって出て来る。


美味いかと聞かれたらビミョー。

結局最後まで何の肉かわからなかった。

豆腐のような、鶏肉のような。

食べ終わってしばらく歩いてから、ある事を思い出してビビった。

さっきの屋台にお金を払っていない。

青ざめた。

急いで戻ってお金を払う。

僕「ごめんなさい。お金を払っていませんでした」

屋台の人「ははは。君がどこ行ったのか考えていたよ」

隣のバングラデシュで教わったんだけれど(たぶんインドも共通)、この地域では飲食が終わって立ち去る時に料金を支払うとのこと。

商品の受け渡し時では無い。

商店でジュースを買ってその場で飲む時も飲み終わってから払うし、屋台で食べた時もチャイを飲んだ時も帰り際に支払う。

いつか食い逃げしちゃうんじゃないかと思っていたら、やっちまった。(戻って払ったけど)

でもよく考えたら、日本ではお祭りの屋台の場合は商品と支払いは同時だし、レストランだと後払い、食券制の店は先払い。

普通にできてるけれど日本の方が複雑かも。

さらに歩くと、看板に「パンジャビラッシー」と書かれた店を発見。

「パンジャビ」はこの街のある地域のこと。

普通のラッシーと何が違うのか興味が湧く。

僕「パンジャビラッシーください」

店員「ごめん、無いんだわ」

僕「看板にあるじゃん」

店員「隣の店にならあるよ」

隣の店へ移動。

僕「パンジャビラッシーください」

店員「はいよー」

出て来たのは普通のラッシーと何一つ変わらない飲み物。


一体何が違ったんだろう。

ラッシーは美味かったからいいんだけれど。

黄金寺院周囲の一番栄えている場所はきらびやか。


あまり興味のあるお土産は無かったけれど、イスラムのクルッと曲がったナイフを売っていたのは印象的。(ジャンビーヤナイフ?)

欲しいけど使いどころが無いな。

で、また黄金寺院へ。

2日連続でも見飽きない。

この日は前日よりも入念に見ることにする。

天守閣的な建物へ、異教徒の僕が入れるかドキドキしながら潜入を決行。


行列に並んでも怒られる気配は無い。

(シク教は排他的ではないし、豊める人も貧しい人も平等に接する教えがあるらしいので、異教徒の僕を受け入れてくれるんだと勝手に思ってる)

建物の中に入る際、皆が敷居の所で膝をついて土下座するようにオデコを敷居に付けている。

当然僕もそれにならう。

建物内もキンキラキン。すんげぇ綺麗。

その中で民族楽器的な何かで演奏をしている。

そしてグル的な人が何かを唱えている。

並んでいる人は順番にオデコを床に付けて祈っている。

建物を出ても通路の端で座って目を瞑っている人が沢山。

すごく神聖な感じ。

心底来て良かったと思う。

池の中央にある天守閣的な建物へ続く通路を戻ったら、謎のお菓子を配っている。

せっかくなので食べてみる。


美味い。

ほのかな甘みとナッツの香り。

シク教って皆平等に食べ物を食べる習慣があるから、皆に配っているのかな。

この寺院内にも無料で(と書くのもなんか違うかもだけれど)食事をいただける場所があるらしい。

そう言えば、バンコクにも無料で食事できるシク教の寺院がある。

黄金寺院を後にして、宿の近くをブラブラ。

途中、商店でお土産にマギー(インスタントラーメン)を大量購入。

その後お菓子屋さんがあったので、謎の白いお菓子を購入。

部屋に戻って、買ったお菓子を食べると絶品。

1個だけじゃなく、沢山買えば良かった。


この日はとても疲れたので、シャワーを浴びようと蛇口をひねると冷水。

よくある事だし諦めればいいんだけれど、夜は冷えるのでどうしても浴びたい。

廊下に出て受付(と言ってもこの宿にはそれらしい物は無く、入り口にソファーがあるだけ)に行くと誰もいない。

仕方ないので宿の番号に電話。

…うまく伝わらない。

結局、宿の人が来てお湯が出ないか何度もトライ。

結局ダメ。

悔しい。非常に悔しい。

翌日は国境を越えてパキスタン。

シャワーを諦めた僕は、国境のセキュリティに止められる事がないように、残りのチャラスを全部ジョイントにする。

出来上がったジョイントは今までにないぐらい会心の出来。

ぶっといジョイントに火をつけてこの日は就寝。