イントロ
2018年11月に、僕は2度目の休職をしました。
数年前からうつ病に悩まされ、それでも休まずに働いて一時は回復(寛解)していました。でも休職する年の春に遠隔地へ転勤になり、環境の変化について行けずに病状は悪くなっていきました。
1度目の休職から復職する際に「また休職するようなことがあったら仕事を辞めよう」、そう思っていました。
そんな僕は、復職して1週間も経たずに会社に行けなくなっていました。
この話は、そんな僕が会社を辞めてからアジアハイウェイ1号線を旅した覚書です。
当初は文章化するつもりはありませんでした。
いざ旅を計画してみると、この旅に必要な情報があまりに少ないことに気づきました。
そんな状況だったので、僕の旅の記録が次なる旅人の参考になることを願ってこの文章を書くことにしました。
旅の動機
初めて海外に行ったのは学生時代。
経由地のタイで盗難に遭い半ベソ、その後インドで強烈な個性を見せつけられた旅でした。
サラリーマンになっても、長期連休の度に東南アジアを中心に旅を続けていました。
「定年を迎えたら世界旅行をしたい」と、ことあるごとに嫁さんに言っていました。
退職することを決意して、今後どうしていこうかとボンヤリ考えていた時、嫁さんがこう言ってくれました。
「しばらく働くつもりが無いんだったら、前からやりたがっていた世界旅行に行ってみたら?」
この時から僕の旅が始まりました。
旅の計画
いざやりたかった世界旅行をすると言っても、あまりに漠然としすぎていて、どこからどこまで行けばいいのかサッパリわかりませんでした。
そんなある日、Googleマップを見ながら、ふと「アジアハイウェイ」と言う単語を思い出しました。
「たしかアジアを横断する道だったような…」
調べると、アジアハイウェイ1号線は東京からトルコとブルガリアの国境までを繋げる長大な道でした。
「現代のシルクロードと呼ばれている」ってフレーズにもシビレました。
僕は「これだ!」と思い、この道を西へ向かうことを決めました。
そしてこんなルールを設けることにしました。
- 旅のルートはアジアハイウェイ1号線(以下、AH1)とする。
- WikipediaのアジアハイウェイのWebに記載されている都市を通過することとする。
ただし現地の交通事情や政治情勢などにより通過が適さない場合は、この限りではない。 - 交通機関などの事情によりAH1のルートを外れてしまう場合は、AH1を通過したことと同義とする。厳密にAH1に沿わなくても良い。
- 貧ぼっ旅精神を忘れず、大いに楽しむ。
無職で毎日を自由に使える身とは言え、月に1度の通院や諸々の用事のため、1回の旅の期間を3週間として、複数回に分けて旅をすることにしました。
本当は一気に全ルートを制覇したかったんだけど、今の僕にはこのスタイルが身の丈に合っているようにも思えました。
ルートをいくつかの区間に分け、各区間を順不同で旅しました。
全区間のルートが繋がったらゴールとしました。
なのでスタート地点から3週間でどこまで行けるのかを調べるところから計画が始まりました。
そして各都市間を結ぶ交通機関や所要時間などを調べていきました。
これが地味に大変で、またワクワクする作業でした。
場所によってはネットでの情報がほとんどありませんでした。
(先人がいないとは思いませんが、極端に少ないのかな)
そんな時は「ま、その場に行けばなんとかなるっしょ」と、計画が不十分のまま出発しました。
おことわり
この文章は旅をした順に構成しました。
アジアハイウェイ1号線を東から西へ旅する順に構成されていません。
またこの文章の一部はフィクションです。
現在の法において禁止されている行為や不道徳な行為があるかもしれませんが、そういった記載はフィクションとして楽しんでください。
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