旅とか雑記とかを冗長に
ーーーこの日のミッションーーー
フライトは翌日の10:05。
チェックインが2時間前だとすると、自宅からの始発バスに乗っても間に合いそうにない。
車で行くことも検討したけど、高速代と駐車場代を考えると空港近くの宿に前泊した方が安く済みそう。
いくつか宿を探してみると、空港と直結しているカプセルホテルを発見。
この宿に宿泊することに決定。
旅したルートと日程を記します。
2019年3月に退職後、アジアハイウェイ1号線の旅を計画していましたが、その前にやっておきたいことがありました。
それはマレー半島縦断の旅。
やっておきたかった理由は2つ。
アジアハイウェイ1号線の旅、第1章は「激走東南アジア編」としてタイのバンコクからインドのコルカタへ、第2章は「狂宴南アジア編」としてインドのデリーからパキスタンのイスラマバードへ陸路を使って行きました。
まだアジアハイウェイ1号線のすべてを走れていないので、まとめを書くには早すぎるのですが、まぁ諸事情で一旦〆的な。
赤線:今回旅したルート(陸路)
青線:今回旅したルート(飛行機)
黄線:過去に旅したルート
アジアハイウェイ1号線は東京の日本橋からトルコのエディルネまで続いているらしいです。
「らしいです」とあえて書いたのは、全線を自分の足で確認出来ていないからです。いつか「続いています」と書けるようになりたい。
東海道やら中山道やら、古来より日本の道路の起点とされたのは日本橋です。
この日本橋がアジアハイウェイの起点となり、ユーラシア大陸を横断して遥かトルコまで道が繋がっています。
想像するとワクワクしませんか?
しますよね?
僕はワクワクする。
旅の前に、ちょっとした用事があって車で首都高を走った際、日本橋でアジアハイウェイ1号線の起点となる標識を見つけました。
ここに書かれている「AH1」の標識は、僕が走った遥か遠い道で時折見ることができました。
まだ未確認なので僕にはわかりません。でも多分繋がっていると思います。
Google Mapを見る限り、この道の難所はミャンマーやインド北東部じゃないかと考えています。
幸いにもこの区間は今回の旅で踏破済。
峠越えが数多くありましたが、道はしっかりと繋がっていました。
そして途中途中に「AH1」の標識を見ることができました。
ただし未舗装区間が多くあり、多くの人が想像する「ハイウェイ」とは程遠い道であることを付け加えないといけません。
現在、政治的な問題で走破不能の区間は、北朝鮮とアフガニスタンです。
こればっかりは仕方ない。
近い将来、これらの国に気軽に行けるようになることを願います。
Google Mapを見ると、道自体は繋がっているのかな?って思います。
現在(この記事の初稿を書いているのは2020年7月)、本来なら中国やベトナムから帰ってきているはずなのですが、旅は一時停止しています。
パキスタンから帰って来て、絶賛引きこもり中です。
2019年の11月に帰国後、次の旅は暖かい春になってからと思い「アジアハイウェイのどの区間を攻めようか」とフツフツと妄想を膨らませていました。
そんな矢先に疫病が騒がれ始め、今や世界中の飛行機はほぼすべてストップ。
観光できる状態にありません。
いつ旅ができる状態に戻れるか、今のところ誰にも分かりそうにありません。
なので次回の旅は無期限延期。
会社を辞めて、長い夏休みとしてこのブランク期間を旅行に当てがいました。
でも夏休みはいつまでも続きません。
未だ働きたくないでござる状態ですが、次の旅に出る前に就職しているかもしれません。
そうするとアジアハイウェイ1号線の旅は頓挫か?ってなります。
でも僕はそう思っていません。
確かに今回のように長期間の旅はできなくなりますが、5日間ぐらいの旅を細切れのように繋げて行ってもいいし、老後に残りを旅してもいい。
これだけは強く言いたい。
僕自身が終わってないと思えば、生きてる限り終わらないんだと思います。
なのでまだ旅の途中。
ちょっと長めの一時帰国中です。
本音を言えば、この無職期間にアジアハイウェイ1号線のすべてを踏破して、感動のフィナーレを迎えたかった。
最後に、旅で出会ったすべての人、すべての優しさに感謝します。
そして旅を勧めてくれた嫁さん、笑顔で送り出してくれた嫁さん、僕のクソつまらない旅の話を笑顔で聞いてくれた嫁さんに感謝します。
ブログは今後も駄文を冗長に書きますが、アジアハイウェイ1号線の旅シリーズは一旦〆(仮)。
了
今回のアジアハイウェイ1号線の旅は、インドのデリーからパキスタンのイスラマバードまでを陸路移動しました。
そして途中、脱線してゴアで音と紫煙と乃木坂とマンガに包まれる日々を過ごしました。
食、景色、出会い、文化交流と、様々な体験ができました。
体調不良のまま出発となり、楽しい事が素直に楽しめない、楽しいって理屈ではわかっているのに心に薄い膜が張っていて鈍麻しているような、正直そんな感覚を持ちながらの旅でもありました。
体調が良かったらもっと楽しかったのかな?
でも十分いい経験を得れたと思っています。
うん、これだけは胸を張って言える。
やっぱり唯一無二の個性派国家でした。
よく「インドは好きか嫌いかハッキリと別れる」と言われますが、僕の場合は「好きでもあるし、嫌いでもある」です。
この感想は、学生時代に初めてインドに行った時の感想と変わっていません。
嫌なところも沢山あるけれど、良いところも沢山あります。
上手く書けるか自信が無いですが…
人を好きになる理由って、一緒にいて心地いいとか、趣味が合うとか、知識や経験が尊敬できるとか、色々あると思います。
けれど人間は完璧じゃない。ネガティブな要素だって持っているわけで。
そういうネガティブ要素とポジティブ要素を足し算してプラスになったら「好きな人」、マイナスになったら「嫌いな人」、なんて答えが導き出されるのかな?って思います。
実際自分がどういう思考プロセスで好き嫌いを判断しているのか、我ながら解っていませんが。
でもインドやインド人って、なぜかそんな単純に答えが出せません。
僕にとってのインドは「良いところも悪いところもある国」なんです。
「この人は親切にしてくれたから、インド人は良い人」とか「この人は詐欺師だから、インド人は悪い人」とか単純に言えなくて、「このインド人は良いところも悪いところもある人」って思ってしまう。
それにたまたま悪いインド人に出会ったからって、インドを悪く思うのは間違っている。
タイなら「好き」って言えるんだけどな。
インドは嫌な事も沢山あるけど、なんか嫌いになりきれない。
「またインドに行きたい?」と聞かれたら胸を張ってこう言います。
「もちろん、また行きたい!」
僕がゴアトランスに傾倒したのは1997年ぐらいだと記憶しています。
初めてインドに行ったのが1996年なので、あと1年早くゴアトランスと出会っていたら、この時にゴアに行ってたのかな。
その初めてのインド旅行の際、バンコクの空港でインド行きの便を待っている時に、ゴア帰りの日本人と知り合いました。
この時の彼の会話を聞いて「うわっ!こいつヤベェー」って思ったのを今でも憶えています。何がヤベェーのかはあえて書きませんが。
そんな僕も、23年の時を経てゴアの地を踏みました。
今回訪れたのは11月。ゴアのシーズンと言われているのが12月から3月らしいので、少しだけシーズンを外していました。
だからなのかな?
「僕の描いていたゴアのイメージとは少し違っていた」と言うのが正直な感想です。
クラブで踊っている人は、95%以上が裕福層と思われるインド人の若者でした。
そして田舎だからか、結構閑散とした街でした。
日々ゴロゴロと引きこもっていて、ひどい時は1日1食だけ。
唯一の食事とクラブ活動の時に、重い腰を上げて街をバイクで徘徊する生活。
今思えば、サンセットを見に行ったり、フリーマーケットを見に行ったりすれば良かったかな。
あ、バガビーチも行っていないや。
もっとバイクで色々行っても良かったかも。
次回行ってみよう。
と言って、次回行ったとしても腰が重くなるんだろうな。
パキスタンとの国境にあってシク教の聖地。
どういう経緯でそんなことを知ったのかは定かじゃないけど、この響きからアムリトサルの存在を知り、いつか行ってみたいと思ってから10年以上経過していると思います。
何かのきっかけでパキスタンに越境する機会があったら、是非立ち寄りたいと思っていました。
今回はそんなチャンスが巡ってきました。
アムリトサルの思い出は、なんと言っても黄金寺院。
あまりに素敵な場所で、2夜連続で訪れてしまいました。
今思えば、太陽の日差しに輝く寺院も見ておけば良かったかも。
荘厳な建物は必見でした。そしてシク教徒が真剣に神に祈る姿も、僕の目には眩しいくらいに美しく映りました。
街は細い路地が入り組んでいて、適当に歩いていると方向感覚を失います。そんな瞬間がとても心地良く、元来た道に戻るなんてもったいなく感じて、道がわからないままさらに進んでしまいました。
そしてそこに生活する人や、野良犬や、馬に紛れ込むのが楽しかった。
パキスタン国境で行われるフラッグセレモニーも必見。
あれが毎夕開催されているのは驚きです。
とにかくものすごい数の人が集まって、ものすごい音量の音楽が鳴って、ものすごい熱量のエネルギーがあります。
インドとパキスタンにはいくつかの政治的問題がありますが、相手国に対する敬意も感じられるセレモニーでした。
そしてBSF(Border Security Force)、カッコイイぜ!
初めての国でした。
そしてまったくの不勉強でした。
ガイドブックもsimカードも買わなかったので、例えば食事をする時にどんな料理があるのかまったく知らずに飯屋に入っていました。
恥ずかしながら、使われる言語がウルドゥー語って事も、文字がアラビア文字って事も、パキスタンに入るまで知りませんでした。
よくそんな状態で行ったなと我ながら感心します。
パキスタンとインドは元々一つの国です。似ていると感じた部分もありましたが、宗教が違うと文字や服装まで違うのかと、自分的には小さな発見がありました。
多くの日本人はパキスタン含め中東やイスラム教に対して、「テロ」とか「戦争」とか、ネガティブなイメージを持っていると思います。
ネガティブなイメージでなくても「よくわからない国」じゃないでしょうか。
そんなイメージが一転しました。
まず人が皆親切。
そして素朴な優しさがあると言うか、居心地の良さを感じました。
時には法律にまで宗教の戒律が影響する国ですが、異教徒の僕を皆が寛容に受け入れてくれました。
じゃぁ僕が持っていたイメージの原因は何だろう。
1人でも多くの人が、見聞きする情報に惑わされる事なく、本当のパキスタンを「体感」してポジティブなイメージを持って欲しいと願います。
次回はゆっくりと周ってみたい。
今回行ったラホールでは、神秘主義者達が集うスーフィーナイトという儀式があるようなので見てみたい。また北部の山岳地帯にも行ってみたい。
うーん。宿に泊まって、近くのマーケットで飯食っただけなので、あまり印象がありません。
前述の通り、スーフィーナイトという宴があるらしいので行ってみたかったかな。
毎週木曜夜開催で、僕が泊まったのも木曜。
行けば良かったかな?
予約していた宿にまさかの「外国人お断り」って言われてヘコみました。
結局泊まることになった宿は町外れ。
ゴミゴミした下町を目的無く徘徊したかったのですが、宿の周りにそんな場所はありませんでした。残念。
2夜連続でコルマなる食べ物が出てきたのはウケました。
ガイドブックも下調べも一切無し状態の僕は「この国にはコルマしかないのか?」って一人ツッコミ。
でもとても美味しかった。
唯一の観光はファイサルモスク。
近代的で素敵なモスクではありますが、それよりヒーロー現象が楽しかった。
ヒーロー現象:外国人であることを珍しがられて、一緒に写真を撮ったり、電話番号を聞かれる現象。僕が勝手に命名
パキスタンの人が優しく温かいことを知る良い機会でした。
強いて言えば、宿泊を断られて徘徊できなかったラワルピンディで迷子になりたかった。