旅とか雑記とかを冗長に
山に登り始めたのは2009年。
かれこれ13年。
僕がたまに山を歩いていることを知っている人は、僕のことを山好きだと思っていると推測。
そんな僕が何故山に登るのか、周囲の期待を大きく裏切る後ろ向きな理由にフォーカスして冗長な駄文を糞ひり出すかの如く投稿。
ハッキリ言うと山はそんなに好きじゃない。むしろ嫌い要素が多い。
嫌い度70%、どちらでもない度20%、好き度10%ぐらいの割合。
そう、ほぼ嫌い。
好き度は10%しかない。
多分山に登らない人と同じ程度。
いい機会なので嫌いな理由をつらつら書きながら自己分析。
これが嫌いな理由の内、大きな割合を占める要素。
息切れするし、心臓バクバクするし、苦しい。つまるところ疲れる。
そもそも基本的に運動は好きじゃない。
出発前はいつも最後まで歩き切れるか不安でいっぱい。
ひたすら右足と左足を交互に前へ出す作業。それを何万回と繰り返さなければいけない。
これほどの単純作業って滅多にないと思う。
ひたすらタンポポをのせる作業の方が時給がもらえていいのは明白。
確実にその日1日を山に消費。
場合によっては前夜に出発することもある。
数時間かけて山へ行き、登り始めたら苦痛に顔を歪めながら数時間山に費やし、下山後も帰路に数時間。そして疲労のため翌朝まで使い物にならない。
ついでに言えば、計画を立てるのにもかなりの時間を消費。
何よりこの時間は、全くもって生産性の無い時間に思える。
やはりタンポポ優勢。
日没までに下山できないと遭難する確率が格段に上がる。
当然スマホの電波は期待できない。
人が少ない山域で運悪く骨折でもして行動不能に陥った場合、誰にも気づいてもらえずに寂しい夜を過ごさねばならない。絶対に怖い。
それどころか山域によっては夏でも夜は10℃を下回る。朝まで生存できる気がしない。
もし僕が山で死んだら、「アイツは好きな山で死んだのだから本望だな」なんてどうか思わないで欲しい。
好きじゃないし、山で死ぬのは怖い。全くもって不本意。
どうせ死ぬなら畳の上で死にたい。でもできれば死にたくない。
好き度10%に含まれる理由で登るのもあるけれど、あえて後ろ向きな理由にフォーカス。
自分らしくネガティブに書こうと思う。
我ながら不明な点も多いけど、登る理由は強迫観念に似た心理だと思う。
山頂に立つと登り終えた安堵から緊張が一気に解放。当然気分は高揚。
そして周囲の景色を見渡してこう思う。
「あの尾根を歩きたい」とか「あの山頂からの景色も見たい」とか。
数日後、すっかり高揚から醒めて「山は疲れるから行きたくねーな」状態の中、「あの時山頂で『あそこを歩きたい』って思っちゃったよな。思ったからには実行するよな?」ってクソミソ思考が湧き上がる。
ホント、クソミソ。
自分の中に幾つかある格言の一つに「てめぇが決めたことすらできない奴は、何事も成し得ねぇ!(ぴーす作)」って言葉がある。
なので「あの尾根を歩きたい」と思ってしまった以上はその尾根を歩きに行かねばならない。
「やっぱ行かない」は一度たりとも許されない。
我ながら生きづらい思考ロジック。
ちなみに何かを最後まで成し得た事はこれまでの人生で一度も無い。
山に対する「もう登りたくねーな」という気持ちを「よし登ろう!」という気持ちへ昇華させるマジカルワード。
帰宅後すぐに嫁さんへ発する一言。
「明日、山登るから」
この言葉を出した瞬間、もう後には引けない。
「やっぱやめた」と言い出しづらくする方程式。背水の陣。
毎度の自分への奮い立たせと退路を断つ自分への戒め。
毎度罰ゲームの如く半泣き状態で「また行かなくちゃいけないのか」という後ろ向きな気持ちを持って山に対峙。
ため息つきながら登山口へ向かい、ツラいと顔を歪めて登り、そしてバカだから山頂でまた同じことを思ってしまいの繰り返し。
登っては後悔し、登っては後悔しの果てしない輪廻。サンサーラ。
僕は前世で一体どれだけの深い罪を犯したのだろうか。
了
「ニートは思ってたほど自由じゃない」って感想。
そもそも自由になりたくて退職したわけじゃないけど。
時間が自由に使えるからやりたいことを毎日楽しみそうだけど、案外そうでもない。
逆に時間が沢山あるから「明日でいいか」って思考に陥りがち。
そして「何もせず遊んでばかりいて」と思われたくない。周囲の目が気になる。
旅をしている期間を除いた遊んだ回数や密度って、働いていた頃より少ないんじゃないかな。
コロナ騒動であまり外出をしなくなったのもあるけど。
さらに時間の経過とともに、周囲から急かされていなくとも「働かなくちゃマズいんじゃないか」とか「何もしないのはマズいんじゃないか」って思考に取り憑かれがち。
「今日何したの?」って質問が心地悪い日々。
でもそれって結局自分の心の持ちようがすべてなんだけど。
案外僕のニート適性は低いのかもしれない。
思えば勝手に肩身が狭く感じていた。生きづらく感じていた。
反面、3回にわたる旅はいい経験だったな。
いい加減な計画の行き当たりばっ旅。
それでも多くを楽しめ、笑顔になれたし笑顔をもらえた。
見知らぬ辺境の地であっても、英語が堪能でなくても、何ともならなかった事は一度も無かった。
いい加減でもなんとかなる事を知ることができた。
結果としてニート期間が僕に何を与えてくれたか、
うーん、でもそんなものは何も無いかも。
無価値な時間だったとは思わないけど。
これからも今までと変わらず目の前の事を見ながら怠惰に淡々と生きていくだけだと思う。
了
2年間のニート生活を終えて新生活スタート。
どんな仕事なのかよくわからないまま出勤。
異業種なのでわからない事だらけ。
初めての人、慣れない職場、やっぱり緊張する。
あれやこれやでしょっちゅうテンパるし、新卒の新入社員の気持ちを思い出す。
波風立たせずそれとなく過ごせればいいなってのが本音。
簡単に書くとこんな仕事。
――――――
カツーン!カツーン!(僕の革靴の音)
Aさん「ヒィっ!あれは僕さんの足音」
僕「こんにちはー!Aさん、約束の日になりましたけど、お金は準備できました?」(ニコっ)
Aさん「い、いえ、その…」
僕「その様子だと、まさか準備できてないって事じゃないですよね?」
Aさん「すみませんっ!すみませんっ!いつか必ず!」
僕「とても残念です」(冷たい目)
僕「でも大丈夫!いい仕事紹介しますよ!心配は要りません。腎臓は2つありますから、1つ無くなっても困りませんよ」(ニッコリ)
Aさん「ヒィっ!それだけは!それだけは勘弁してくださいっ!」
僕「Aさんは健康そうだし、僕の知っているお医者さんはすごくいい人ですよ!それともクルージングを楽しみながらマグロでも採りますか?」(ニタア)
ジョボジョボジョボジョボ~(失禁音)
――――――
2割ぐらいは盛って書いてますが何か。