旅とか雑記とかを冗長に
「ニートは思ってたほど自由じゃない」って感想。
そもそも自由になりたくて退職したわけじゃないけど。
時間が自由に使えるからやりたいことを毎日楽しみそうだけど、案外そうでもない。
逆に時間が沢山あるから「明日でいいか」って思考に陥りがち。
そして「何もせず遊んでばかりいて」と思われたくない。周囲の目が気になる。
旅をしている期間を除いた遊んだ回数や密度って、働いていた頃より少ないんじゃないかな。
コロナ騒動であまり外出をしなくなったのもあるけど。
さらに時間の経過とともに、周囲から急かされていなくとも「働かなくちゃマズいんじゃないか」とか「何もしないのはマズいんじゃないか」って思考に取り憑かれがち。
「今日何したの?」って質問が心地悪い日々。
でもそれって結局自分の心の持ちようがすべてなんだけど。
案外僕のニート適性は低いのかもしれない。
思えば勝手に肩身が狭く感じていた。生きづらく感じていた。
反面、3回にわたる旅はいい経験だったな。
いい加減な計画の行き当たりばっ旅。
それでも多くを楽しめ、笑顔になれたし笑顔をもらえた。
見知らぬ辺境の地であっても、英語が堪能でなくても、何ともならなかった事は一度も無かった。
いい加減でもなんとかなる事を知ることができた。
結果としてニート期間が僕に何を与えてくれたか、
うーん、でもそんなものは何も無いかも。
無価値な時間だったとは思わないけど。
これからも今までと変わらず目の前の事を見ながら怠惰に淡々と生きていくだけだと思う。
了
2年間のニート生活を終えて新生活スタート。
どんな仕事なのかよくわからないまま出勤。
異業種なのでわからない事だらけ。
初めての人、慣れない職場、やっぱり緊張する。
あれやこれやでしょっちゅうテンパるし、新卒の新入社員の気持ちを思い出す。
波風立たせずそれとなく過ごせればいいなってのが本音。
簡単に書くとこんな仕事。
――――――
カツーン!カツーン!(僕の革靴の音)
Aさん「ヒィっ!あれは僕さんの足音」
僕「こんにちはー!Aさん、約束の日になりましたけど、お金は準備できました?」(ニコっ)
Aさん「い、いえ、その…」
僕「その様子だと、まさか準備できてないって事じゃないですよね?」
Aさん「すみませんっ!すみませんっ!いつか必ず!」
僕「とても残念です」(冷たい目)
僕「でも大丈夫!いい仕事紹介しますよ!心配は要りません。腎臓は2つありますから、1つ無くなっても困りませんよ」(ニッコリ)
Aさん「ヒィっ!それだけは!それだけは勘弁してくださいっ!」
僕「Aさんは健康そうだし、僕の知っているお医者さんはすごくいい人ですよ!それともクルージングを楽しみながらマグロでも採りますか?」(ニタア)
ジョボジョボジョボジョボ~(失禁音)
――――――
2割ぐらいは盛って書いてますが何か。
この頃から、なんとなく「そろそろ働かないとマズいのかな」って心の片隅にモヤモヤとした気持ちが出現。
無意識にこのままじゃ社会復帰できないって思いや、順風満帆な人生からドロップアウトした劣等感のようなものがあったのかもしれない。いや、確実にあった。
「いつまでその生活をしてるの?」と思われてるんじゃないかって勝手な被害妄想。誰かから急かされたとかは一切無いのに。
一方、働いたらまた病状が悪化するんじゃないかという不安も強く感じる不協和音。
次ダメになったら一生立ち直れないって恐怖。
で、勇気を振り絞ってとある仕事に応募したけど不採用。
「まー、次あるし(楽観)」って気持ちと、「ホッとした」って気持ちが交錯。
並行して毎日のように山を徘徊。
山で軽くランニングできるまで体力は復活。まだまだ昔ほどでは無いけど、体力に自信がついてきたかな。
毎日山を徘徊するうちに、同じように毎日山を歩くニート達と顔見知りに。
彼らは僕のような社会不適合ニートではなくリタイヤ組。ニート界のヒエラルキーでは頂点に立つ成功者ニート。
最初はお互い「この人見たことあるな」って感じ。
そのうち「こないだも歩いてたよね」って声をかけられ、「おはよう!今日も頑張ってるね!」とステップアップ。
当然相手から声を掛けられるのであって、恐れ多くも僕から成功者ニート様へ声をかけることはできない。いや、単なるコミュ障。
たまに少し離れた山に行き始めたのはこの頃。
とある仕事に応募。
募集要項を見てもどんな仕事か具体的に想像できなかったけど、まあどうにかなるやろの精神で。
病気が悪くならないかって不安はあったけど、このまま立ち止まっていたら永遠に前に進めない気がしたし、貯蓄だっていつかは無くなってしまう。
いつか直面してしまう現実に、そろそろ真っ向から対面しなくてはならない時期なんだ。
この辺で旅はスッパリ諦めて現実世界を生きることにシフトしよう。
で、あっけなく採用。
非正規だし週4日勤務だけど、今の僕にはこれでいいのかもしれない。
4月から新しい生活に入ってしまう。
世間や貯蓄、そしてなにより自分が許してくれれば、このままニートでいたかった。
トレイルウォーキングは並行して継続。
徐々に距離が延びて標高が高くなる。
3月30日。
忘れもしない最後のトレイルウォーキングでは、挨拶程度だけど知り合った人全員とすれ違う奇跡。こんな事はこの道を歩いて初めて。
もちろんコミュ障なので「4月から働くのでこれで最後です。これからも元気にここを歩いてください」なんて言えず、「ア、、、コンニチワー」って挨拶。
また会えるかもしれないけど、一つの区切り。
この日の山吹は綺麗だったな。
気がついたら世界中大パニック。空港閉鎖。
この頃から次の旅は延期かなって考えがチラリ。
嫁さんに「まだ行くつもりだったの?どう考えても行けないじゃん」って当然のことを言われた時、唯一の目標を見失って不安になったな。
このままだと「長期の旅をしてます」と言える身分から「ただのクソニートうんこ製造機」の肩書きになってしまう恐怖。
いや、どっちの肩書きも社会的にはあまり変わらないか。
ニートである自分を唯一支えていた旅が無くなってアイデンティティが崩壊寸前。
なんでもいいから何かやっていたかった。気を紛らわしたかった。
そんな僕の不安をよそ目に、この年も変わらずに桜がやって来た。
この地に住んで2度目の桜。
で、何をやってたかって、近所の里山をひたすら歩く日々。
デブ活しすぎたせいで体重が激増。流石にヤバいと思ってダイエット。
登山は幾つかある趣味の一つ。
山の無い地域に転勤したから2年前の転勤を機に山から完全に離れていた。
でも心のどこかに山への想いがあって、近所の軽めなコースを歩いて体重を落としながら足腰鍛えようって算段。
ほぼ毎日近所の里山をゾンビの如く徘徊。
ウォーキングのようだけどトレッキングのようでもあるから、トレイルウォーキングと勝手に命名。
この年もトマトは豊作。
里山を軽くトレッキングと言っても、流石に夏は地獄。
むしろ低山なので気温が高くて熱中症寸前。アルプスよりも難易度が高い。
2時間で水を2リットル消費して、水無し状態で帰路を歩いたのは死んだ。
毎日のように継続して歩いていると、少しづつタイムが縮まることが嬉しく思えてくる。
少し冒険しようと距離を延ばしたり、別のコースを探検したり、少しづつだけど行動範囲を広げていったのはこの頃。
普通の人にとっての一歩が何万歩にも感じていた。
普通の人にとっての段差が永遠に続く階段に感じて、結局一歩も踏み出さぬまま絶望していた。
まずは山から、少しづつ自分を取り戻して行こう。