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アジアハイウェイ1号線の旅 激走東南アジア編【まとめ】



アジアハイウェイ1号線の旅 第1章は、タイからインドまでを陸路で旅しました。

題して「激走東南アジア編」です。帰国後に命名しました。

「楽しかった?」と聞かれれば「ツラかった」と答えるような旅でした。

なにより長距離移動がツラかった。

そしてツラかったけど、冒険心を十分満たせる旅でした。

ミャンマーやインド北東部は、最近になるまで外国人が自由に旅することが禁じられていました。

またバングラデシュは旅行者が少ない国と言われているようです。「地球の歩き方 バングラデシュ」は、2015年に初めて出版されましたが、その後改訂版が出版されていないのは、需要が無いからかもしれません。

まさに空白地帯。

旅行前にできる限り情報収集を試みましたが、有用な情報があまり得られない状態での出発となりました。

一体何日ぐらいでゴールできるのか、わからない不安もありました。

ネットやスマホの無い時代に旅していた時には、当たり前のことだったんですけどね。

僕が軟弱になったのかな。

今回のルートは、まさに手探りの旅。

僕の記録が、次にこの地域を旅する誰かの役に立てれば幸いです。

そして「行こう」と思わないまでも、「行ってみたいな」と思ってもらえれば、この文章を書いた意味があるかなと思います。

アジアハイウェイは本当に日本から続いていました。

ミャンマーの奥地やインド北東部の未舗装路にも、アジアハイウェイ1号線を示す「AH1」の看板を見つけました。

感慨深かったなー。

アジアハイウェイ1号線の旅はまだ途中です。

東京から今回の旅のスタート地点バンコクへ、ゴール地点コルカタからトルコへ。踏破しなければならない都市はまだまだあります。

旅の終わりに僕がTwitterへ投稿したコメントを引用します。


「乞食」という単語は、現代において不適切な表現であると理解していますが、僕が得た彼女の印象は「物乞い」でも「ホームレス」でもなかったので、あえて「乞食」の表現を使いました。

次に、旅した各国の印象などを書いておきます。

タイ

実は今回の旅の2ヶ月前に、マレー半島をシンガポールからタイまで縦断しました。この旅については、機会があれば書きたいと思います。

タイでは、バンコクの屋台を撤去する政策が2016年から施行されたらしく、屋台街の規模がずいぶん小さくなっていました。あれほど賑わっていたカオサンロードの屋台もほとんどありません。

僕が好きだったカオマンガイの屋台も無くなっていました。

バンコクの魅力が減ってしまい、少し残念です。

今回の旅では、スタート地点と帰りの経由地がバンコク。他の街には行っていません。

バンコクは大都市なので、何をするにも困ることはなく、とても過ごしやすい街でいいのですが、何度も訪れたことがある僕にとっては飽きた感が否めませんでした。

個人的には、タイの魅力は地方の方が感じられるかな。

まだ行ったことの無い場所に行ってみたい。

ミャンマー

ミャンマーは急ぎ足で通り過ぎた感が否めません。

街ブラはヤンゴンでの1日だけ。

なのでミャンマーの魅力があまりわかっていないのが正直なトコ。

今回の旅で一番印象に残っているのは、ヤンゴンで会った少女の乞食。

彼女の誰へ向けるでもない、それでいて必死な目と声は僕の心に突き刺さりました。

世の中は理不尽なことが多いけど、彼女が背負っている理不尽と言うか業と言うか、そんな物はあまりに重すぎる。

僕には何もできないもどかしさ。

できれば僕が去った後、渡した数枚のお札を見ながら「また馬鹿な旅行者が金をくれた」って不敵な笑みを浮かべて欲しい。

そうしてくれれば僕も少しは救われるし、救われたい。

またミャンマーは非常にインフラが遅れている印象を受けました。

都市部を繋ぐ道路以外は、日本では考えられないぐらいの悪路でした。

ただの旅行者である僕がミャンマーのインフラの享受にあやかる必要は無いですが、ミャンマーの発展のためにインフラを整えて欲しいと感じました。

そうすれば地方部から都市部へ労働力が流入しやすくなったり、生活水準の格差が少しは均一化されるんじゃないかな?

同じ100kmでも整ったインフラと悪路じゃ距離感がまるで違う。

帰国後調べたら、日本のODAはミャンマーに対して十分援助しているようなので、このままこれを継続して欲しい。

ミャンマーに行く機会がある人がいたら、今は飛行機での移動をおすすめします。

インド北東部

この地域へは、行く前からワクワクしていました。不安はそれ以上あったけど。

僕のインドの印象は、23年前に初めての海外旅行でインドに行った時のまま止まっていました。

その時には、インド北東部は入域許可証がなければ入れない地域だったし、許可証があっても入れない都市が沢山あったと記憶しています。

未だにガイドブックに詳細は書かれていないし、ネット上にもほとんど情報がありません。

こんな地域へミャンマーから入ることには冒険心をくすぐられました。

実際に行ってみて感じたのは、僕が想像する「インドのイメージ」とは少し違う空気感。なのに「インドのイメージ」からそこはかとなく逸脱しきれないインド感。

この辺、上手く説明することができない。

行けばわかるさ。

歴史に詳しくない僕にとって、インパールは「たぶん激戦地?」ぐらいしかわかっていませんでした。

遠い異国の地、過酷な作戦下で亡くなられた多くの英霊達はどれほど無念だっただろうと考えることができました。

交通機関も宿も飯屋も旅行者には優しくなかったし、見所もあまり無かったけど、一味違ったインドを感じることができる地域でした。

バングラデシュ

バングラデシュでは、書き切れないぐらい沢山のヒーロー現象がありました。

この現象は、旅行者によってはウンザリする人もいるみたいだけど、僕にとってはこの国の人の明るさや優しさ、幸福さを肌で感じることができて嬉しく感じました。

この国の人達が僕と色々話したい気持ちがあったように、僕もこの国の人達と色々話したかったから。

他の国に行った時も「色々話したい!」って思うけど、自分の英語力や相手の英語力、そしてなにより僕のシャイな一面が邪魔してなかなか一歩踏み出せない。

バングラデシュでは多くの人に優しくされ、チャイやタバコをおごってもらいました。

日本ではタバコのイメージは悪いけど、コミュニケーションのアイテムとして、タバコやチャイを奢る行為が普通にありました。

「タバコ(またはチャイ)をおごるよ」は「君と話がしたい。ゆっくり話でもしないか?」の意味だと好意的に受け取っていました。

それほど長くいたわけじゃないけど、毎日誰かと出会って、何かが起こって、何かを発見して、感動がありました。

リピートしたい国ナンバーワン!

旅行者が少ないと言われているバングラデシュ。

最初から最後まで、外国人は誰一人として見ませんでした。

いや、思い返せばバンコク以外で外国人旅行者は見ていないや。

インド

23年前、デリーへ入国してコルカタ(当時はカルカッタ)から帰国しました。

今回もコルカタがゴールの地となりました。

街ブラしながら気づいた23年前との違いは

  • 皆スマホを持っている。当時は携帯電話すらなかった
  • 物乞いがほとんどいない

って感じです。

物乞いが減ったのは、インドが豊かになったのかな?

そうだとすれば嬉しい。

そうそう、前にコルカタを訪れた時には、それ以前と比べて物乞いが減ったと言われていました。

その原因が「インド政府が物乞いをトラックに乗せてデカン高原に捨てたから」って言われていたことを思い出しました。

旅行者の噂の類だけど、インドだけにありえない話でもない。

街を走るタクシーやオートリキシャーは以前のまま。

それがまだ現役。今やクラシックカー。(当時もクラシックカーだったけど)

インドは23年の歳月を経てもちろん変わったけど、一番変わったのはインドと言う強烈な個性のある国を受け止める自分の心だったように思います。

コルカタでは友達もできたし、一緒に遊んで楽しかった。

ジミとは今でもLINEで連絡を取り合っています。

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