旅とか雑記とかを冗長に

文字はどっちに流れる


アンコールワットを目指し、ラオスからカンボジアへ国境を越えて、途中の街で1泊した時の話。 


バーと言うかレストランと言うかそんな感じの店で晩飯を食べていると、欧米人の男性1人と女性2人のグループが店を覗いて僕を見るなり声を掛けてきた。

「同じバスに乗っていたよね?一緒に食べていい?」

これといった断る理由も無く快諾。

英語が堪能ではないので面倒に思ったことは内緒。 


男性はオランダ出身。女性がどこ出身だったかは失念。

英語が得意ではないとは言え、なんだかんだで会話はできるもんだと我ながら毎度驚く。

さすがに政治の話題はついていけなかったけど。いや、そのジャンルは日本語でもついていけないか。

強く記憶に残っているのは、オランダ人にとって英語は方言みたいなものだから習得は簡単だと言っていたこと。

4人の中で唯一アジア人の僕は珍しかったんだろうな。

互いの国や東南アジアの文化風習の話題になった時、僕の手元に置かれたタバコの箱に書いてある「喫煙はあなたにとって肺がんの~」って一文を見た欧米人女性からふとした質問を投げかけられた。

「日本語って左から右へ読むの?」

予想だにしない質問。

その時は咄嗟に「そうだよ。英語と同じだよ」とアンサー。

今になって思えば、その回答は日本人代表として不適切だった。

枕草子とかの古文書や小説は上から下へ文字が流れる。

一昔前の看板や広告は右から左へ文字が流れている物がある。

そして僕らはそれを何の疑問も抱かずに読めている。

これほどまでに多様な文字の方向を持つ民族は珍しいのではないか。

そう後から気がついた。

全くもって文化が違うアジア圏に興味を持って飛び込んだあの欧米人達に、少し間違った(不足した)日本を教えてしまったことを後悔。 


翌日、その欧米人グループと同じバスでシェムリアップを目指す途中、ドライブインに陳列されている商品を物珍しそうに見ている僕に、「君にも風変わりに見えるの?」と聞かれた。

彼ら視点ではカンボジアも日本も同じアジアとして一括りに見えているんだと感じた一瞬。

captures #044 | Metallica



なぜにそんな色なのかと物珍しかったけど

近所にもいたわ

2008-07-19 石垣島(沖縄県)

captures #043 | BINGO BONGO



けだる暑

2003-07-某日 ホーチミン(ベトナム)

captures #042 | 男前坂



来る山来る山必死に押さえ込まねばならない長い尾根

後悔が満ちた頃、直登しか許さない絶望の権化

2015-02-15 高丸山(東京都)

captures #041 | 風薫る



車窓から見えるどこまでも広がる畑

ヌラリと湿った風

2009-04-25 ウボンラチャタニー(タイ)

実はあまり山が好きでもない話

event_note1/08/2022 forumNo comments


山に登り始めたのは2009年。

かれこれ13年。

僕がたまに山を歩いていることを知っている人は、僕のことを山好きだと思っていると推測。

そんな僕が何故山に登るのか、周囲の期待を大きく裏切る後ろ向きな理由にフォーカスして冗長な駄文を糞ひり出すかの如く投稿。

山の好き度

ハッキリ言うと山はそんなに好きじゃない。むしろ嫌い要素が多い。

嫌い度70%、どちらでもない度20%、好き度10%ぐらいの割合。

そう、ほぼ嫌い。

好き度は10%しかない。

多分山に登らない人と同じ程度。

嫌いな理由

いい機会なので嫌いな理由をつらつら書きながら自己分析。

理由1:しんどい

これが嫌いな理由の内、大きな割合を占める要素。

息切れするし、心臓バクバクするし、苦しい。つまるところ疲れる。

そもそも基本的に運動は好きじゃない。

出発前はいつも最後まで歩き切れるか不安でいっぱい。

理由2:単調すぎる

ひたすら右足と左足を交互に前へ出す作業。それを何万回と繰り返さなければいけない。

これほどの単純作業って滅多にないと思う。

ひたすらタンポポをのせる作業の方が時給がもらえていいのは明白。

理由3:拘束時間が長い

確実にその日1日を山に消費。

場合によっては前夜に出発することもある。

数時間かけて山へ行き、登り始めたら苦痛に顔を歪めながら数時間山に費やし、下山後も帰路に数時間。そして疲労のため翌朝まで使い物にならない。

ついでに言えば、計画を立てるのにもかなりの時間を消費。

何よりこの時間は、全くもって生産性の無い時間に思える。

やはりタンポポ優勢。

理由4:危ない

日没までに下山できないと遭難する確率が格段に上がる。

当然スマホの電波は期待できない。

人が少ない山域で運悪く骨折でもして行動不能に陥った場合、誰にも気づいてもらえずに寂しい夜を過ごさねばならない。絶対に怖い。

それどころか山域によっては夏でも夜は10℃を下回る。朝まで生存できる気がしない。

もし僕が山で死んだら、「アイツは好きな山で死んだのだから本望だな」なんてどうか思わないで欲しい。

好きじゃないし、山で死ぬのは怖い。全くもって不本意。

どうせ死ぬなら畳の上で死にたい。でもできれば死にたくない。

じゃ、何故登る?

好き度10%に含まれる理由で登るのもあるけれど、あえて後ろ向きな理由にフォーカス。

自分らしくネガティブに書こうと思う。


我ながら不明な点も多いけど、登る理由は強迫観念に似た心理だと思う。

山頂に立つと登り終えた安堵から緊張が一気に解放。当然気分は高揚。

そして周囲の景色を見渡してこう思う。

「あの尾根を歩きたい」とか「あの山頂からの景色も見たい」とか。

数日後、すっかり高揚から醒めて「山は疲れるから行きたくねーな」状態の中、「あの時山頂で『あそこを歩きたい』って思っちゃったよな。思ったからには実行するよな?」ってクソミソ思考が湧き上がる。

ホント、クソミソ。

自分の中に幾つかある格言の一つに「てめぇが決めたことすらできない奴は、何事も成し得ねぇ!(ぴーす作)」って言葉がある。

なので「あの尾根を歩きたい」と思ってしまった以上はその尾根を歩きに行かねばならない。

「やっぱ行かない」は一度たりとも許されない。

我ながら生きづらい思考ロジック。

ちなみに何かを最後まで成し得た事はこれまでの人生で一度も無い。

明日、山登るから

山に対する「もう登りたくねーな」という気持ちを「よし登ろう!」という気持ちへ昇華させるマジカルワード。

帰宅後すぐに嫁さんへ発する一言。

「明日、山登るから」

この言葉を出した瞬間、もう後には引けない。

「やっぱやめた」と言い出しづらくする方程式。背水の陣。

毎度の自分への奮い立たせと退路を断つ自分への戒め。

サンサーラ


毎度罰ゲームの如く半泣き状態で「また行かなくちゃいけないのか」という後ろ向きな気持ちを持って山に対峙。

ため息つきながら登山口へ向かい、ツラいと顔を歪めて登り、そしてバカだから山頂でまた同じことを思ってしまいの繰り返し。

登っては後悔し、登っては後悔しの果てしない輪廻。サンサーラ。

僕は前世で一体どれだけの深い罪を犯したのだろうか。

captures #040 | 金の斧 銀の斧




多分いる 奴が

2012-07-14 みどり池(長野県)